あなたは世界一になったことがありますか?私はあります!
昨年、東京オリンピックが開催されたときふと思ったことです。
オリンピックといえば世界最大のスポーツイベントであり様々な競技種目で世界一を決める国際大会です。たくさんの話題と不安と混乱とともに開催された東京オリンピックも閉会してからもう1年が経とうとしています。心配されていた、コロナの拡大、炎天下での熱中症選手の続出、そのほかの予想外のパニックはあまりなく、それよりも日本人選手の活躍の方が大きく注目されるのでした。中でも期待されていた、卓球の男女混合ダブルスでは、強豪中国を打ち破り金メダルをとる快挙を成し遂げました。
まだ小学生でテレビっ子だった当時の私は、世界丸見えや世界仰天ニュースなんかをよくみていました。ギネス記録というものを知って興味を持ったのは世界丸見えだったと思います。。世界一背が高い人、世界一爪が長い人、人差し指でスイカを割った数、1分間でラブレターを破った枚数……そんな世界記録の数々……。その当時、そんな”くだらない”競技でも世界一になれるんだと何となく考えていました。世界のびっくり人間や超人が出てくるテレビに夢中になっていたのです。それからしばらく考えていると、もしかしてこれだけ色々な競技や挑戦があったのなら、世界中の誰しもが世界一の記録を持っているのではないかと考えるようになりました。少し興奮して私は、友達にそのことを言うと、「じゃあ、お前は何の世界記録を持ってるの?」と、一発で論破されるのでした。そのときなんにも言い返せずにしょんぼりしてしまったことを今でも良く覚えています。
みんなが羨むような世界一になるためには例え、その辺のFPSゲームであっても人生かけるレベルで努力してさらに少しの運が味方してやっとなれるくらいのものです。世界一の金持ちになろうと思っても、70億人も人がいるこの地球上では、ただ一人しかなれません。1/70億人です。そして、世界一でないと納得できないようなことはどれだけあるのでしょうか?逆に世界一になったら必ず幸せになれるのでしょうか?だとしたら世界一になる意味ってなんなのでしょうか?2位じゃだめなんですか!?いや2位じゃ駄目な分野も確かにあるとは思います。
それから数年が経ち、そのことを思い出し、ぐぬぬと思いつつ、ハッとひらめいたのです。「世界記録なんて誰でももってるじゃないか!」この記事を読んでいる読者様からも”あのときの友人”みたいに「だからお前、何の世界記録を持っているんだよ?」と突っ込みたくなっていることでしょう。安心してください、ちゃんと世界記録を持っています。自信を持って言えます。人間誰しもがオンリーワンの存在、世界で唯一の存在であるならばそれに関する世界記録が沢山あるはず。屁理屈かよとツッコミを入れるのはまだ少し早いです。そんなこと誰でも知ってるよ!わかります。当たり前ですよね。でも考えてみてください。世界記録というのはどんな分野であっても、世界でただ一人の存在です。それがどんなにしょうも無いとしてもです。
そんな感じで、パッと思いついた世界記録をいくつか紹介します。
1.私がこの部屋の照明のスイッチ押した回数→世界一です。
2.私の母親のおにぎりを食べた個数→世界一です。
3.私の今の組み合わせのお布団で寝た回数→世界一です。
4.この家の滞在時間世界一です。ついでに前の家の滞在時間も世界一です。
ちょっとまって!そんなの本当に当たり前じゃないか、そんな限られた条件だったら誰でもそうだよと激しい突っ込みが来そうですが、よくよく考えてください。現在、100m男子陸上での世界記録を持っているのは、ウサイン・ボルトです。これは世界中の誰もが覆せない事実です。しかし、本当に世界一なのでしょうか?そこそこ足の速い人が、ドーピングしたり、義足で専用のアタッチメントつけた走ったらどうでしょう?はたまた、100mを移動する単純な速さだったらその辺のロードバイク愛好家の方がずっと早いはずです。もっと言うとその辺の軽自動車の方が早いです。え?そうです、このウサインボルトの記録でさえも、100mの男子陸上でしかも地球上の平滑な地面でかつ足や肉体を改造していない生身であることに限られています。広い目で見たら、上に挙げたとんでもなくしょうもない世界一が、あまりに限定的すぎると思っていたのが、陸上の100m走ですら、これだけ限られた条件でしか世界一になれないのです。これは陸上だけにかかわらず、この世のあらゆるモノに言えます。地球上で最も高い構造物は、宇宙規模で見たら本当に世界一なのでしょうか?
矛盾するようですが、本当の本当に世界一になる絶対の世界は、恐ろしく稀なのです。だからこそ、その辺に落ちている世界一で十分ではないかと思うのです。こんななくだらないことで、あっ面白いとか、くだらねーなと笑えることの方が、世間での凄い記録よりもずっと価値があると思いませんか?
ネットが広く世界中に行き渡った現代、勉強でもスポーツでも趣味ですら上を見上げ他人と比べだしたら、いらくでも上の人がいて、どれほど自分が小さい存在であり、この世界がこれほどまでに大きいことに気づかされると思います。小学生が中学生を見るように、高校生が社会人を見るように、どこも一つ上の世界で溢れています。それはあまりにも際限なくキリがありません。だからこそ、自分とは全く違う他人や手の届かない世界ではなく、今ある等身大の自分自身を見つめることが今とても重要になっていると思います。
自分の持っている世界一の記録がどんなにくだらないモノであったとしてもそれが、自分自身の証明であり、今をリアルを生きることではないでしょうか?多くの人が、この話は「あまりにも屁理屈が過ぎる」とか、「ばかばかしい」とか思うかも知れません。例え、あなたが世界一の何かを持っていたとして、それはどんな国へ行っても、子供でもおばあちゃんを前にしても自慢できますか?ボルトの出した100m走9.58秒の記録は本当にどんなモノより早いのでしょうか?モノの見方や価値感は人それぞれ国によっても年齢によっても場合によっても変わってしまいます。
絶対は存在しないこの世界では、価値があるのかどうかはある程度自分で決めることが出来ます。だからこそあなたもきっと世界一の記録を持っているはずです。私は、私の母親の料理を食べた回数世界一です。今あるこの組み合わせのこのオーディオシステムで音楽を聴いた回数時間世界一です。このブログに文章を打ち込んだ回数世界一です。自分が自分の時間を過ごした時間世界一です。これは間違いないです。
「なんだこの屁理屈くだらない!」と思うかもしれませんが、自己肯定感はこうやって小さく積み上げていくのだと思います。それが他人から見たらどう見えるかなんてのは関係なく、ただオンリーワンであればそれで良いのです。競争社会で、こういう話が受け入れられる人こそが豊かな人なのかも知れないと思うのです。人間誰しもがオンリーワンの特別な存在であり、オンリーワンがナンバーワンであることは紛れもない事実なのです。
おわり
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