禍話「ひとりうたい」
これはとある大学で起こった話だ。
その大学のはずれにある研究棟には、准教授や非常勤講師の研究室が集まっていた。教授の研究室があるのは別棟、本館なため、そこに訪れるのは准教授やゼミ生だけ。一階に警備員の宿直室があるが、いつもいるのかいないのか分からないようなそんな場所だった。
そこであるとき変な張り紙をK君は見つけた。
〈最近 裸足で歩く 女性がいます〉
それが貼ってあったのは研究棟の奥まった場所にある誰も使わないようなトイレの近くだった。
そのトイレの秘匿具合を気に入っていつも使っていたK君はトイレから出る時、偶然張り紙を見つけたという。
そこにちょうど見知っている警備員のオジさんが通りがかった。
「ちょっと、これなんですか…?」
「ああ、これねえ…いや俺も一回見ただけなんだけど…」
そう言うとオジさんは貼り紙の女に出会った時のことをポツポツと話し始めた。
夜、いつものように棟を一階ずつ見回っていると「こんな格好の人がこんなところにいるものか」といったような格好の女が、おそらくだが、裸足で歩いていた。
学生ならそれらしい格好や雰囲気で分かるものだがそんな感じでもない。研究棟の中をふらふらっと歩いていく。駐輪場を挟んだ向こう側に見えたため、急いで大きくぐるっと回って女が歩いていた場所へ向かうが誰もいない。
閉じれば大きな音の出る出口のドアの音も聞こえていない。もう一度研究棟の周りを見回ってみたが、いたのは帰り支度をしている准教授と数人の学生だけだった。
「気持ち悪いよなあ……」
「それどんな女なんですか……」
「何の荷物も持ってなくて、変な話、お母さんが近所の公園に行くみたいな感じ。心ここにあらずみたいにふらっと歩いてる。昼間だったらまだ分かるんだけど、夜中も夜中だったしね…怖いしなんだかおかしいよな~」
そんな話をした一週間後。K君はたまたま警備員のオジさんと大学の外で会った。
この前の話が気になっていたのもあって「あれ!どうも!あれからどうなりました?解決しました?」と切り出すと「そんなことより○○先生はヤバイな……」とうつむきがちに答えた。
○○先生は大学の准教授で、ゼミも受け持っている割と真面目な先生だ。
自分では別におかしいところもないように思われたが、オジさんは「いや本当にヤバイよ」と繰り返している。
「どういうことですか?」
「ドア開けっぱなしで自分の研究室に人を入れてるんだよ……」
「クーラーとか、嫌いだから?ゼミの学生とかを入れてるってことですか?」
「いや、ゼミなのかな、夜の10時ぐらいなんだけど、ドア開けっぱなしで変な歌を大声で歌ってるんだよ
廊下が真っ暗でその部屋から光が漏れてたから間違いないんだけど。いまいち何言ってるのか分からなくて、変な歌を何人かで歌ってて。日本語なのは分かるけど適当な歌。でも変に全員の息は合ってて、それもなんか気持ち悪いし、盛り上がってて水差せないから次の日に注意しようと思ってその日は帰ったんだよ
それで次の日にその先生に「昨日のあんまりいいものじゃないし、周りの迷惑にもなるから」って注意したら
「昨日はいませんでした」
って、そう言うんだよ。バーッと理屈をこねて自分がいなかったことを真顔で説明するから、俺も「あ、昨日いなかったのかな」「一部屋間違えたかな」と思って、確認しようとその先生の研究室のあるフロアに行ってみたんだけどやっぱりそこなんだよ。
何回確認しても絶対にそこだし、間違えようがない。首傾げてたら隣の研究室の先生がちょうど出て来たから、聞いてみたんだ「○○先生昨日いましたよね?」って。そしたら「いましたよ」って先生たちの予定が書いてあるホワイトボード指さして言うんだよ。そのホワイトボードには確かに昨日いたって書いてあるから完全にいたはずなんだけど、どうしてあんな平然と嘘つくんだろうなあ……」
「それ一回ガツンと言った方がいいんじゃないんですか…」
「まあこれも風紀の乱れだし一回言った方がいいよね…」
そんな話をした翌週、急にその准教授は大学から追い出された。
そのタイミングで警備員のオジさんも休職した。あとから聞くところによると、その准教授は民俗学か何かの専攻で、正学の准教授ではなかったようだった。
後日、K君は復職した警備員のオジさんに何があったのかを聞いてみた。
その日もまた騒がしかったという。
夜の巡回の途中、またあの研究室で変な歌を大勢で歌っているのが聞こえた。
絶対にあの研究室だ。真っ暗な廊下に開きっぱなしのドアから光が漏れているのが遠くに見える。大勢で訳の分からない歌をこの前と同じように歌っている。今日こそ一言言ってやろうという気概で
「ちょっと!!!!」
勢いをつけて研究室の中に入ると、部屋には教授は一人だけだった。
一瞬、身動ぎする。
あんな大勢の声が聞こえていたのに、アカペラのカラオケ音源を流していたのか、今では何も聞こえない。
一瞬、一人なのに驚いて気付かなかったが、なぜか准教授の服はビリビリだった。
准教授の着ているその服はどこかに挟まって破れた服をもう一度着ているような感じがした。袖や襟がボロボロになっている。なんでそんな服……と思って准教授を見ると
准教授は口をパクパクしていた。
口パクで何かの歌を歌いながら一人で音楽にノっているように左右に揺れている。
「気持ち悪ッ……」思わず後退りしながら、部屋の電気はついているが、持っていた懐中電灯で准教授の顔を照らす。
「あのぉ………何してるんですかぁ………?大丈夫ですかぁ………?」
准教授に警備員の声は全く聞こえていないようで全然止まらない。まだ口をパクパクしながら左右に揺れている。
踏み込んで触れるのも何か嫌なので声をかけながら懐中電灯で顔を照らしていると、一曲終わったのか、口パクと体の揺れを止めて警備員をジッと見た。そしてこう言った。
「うーん でもね これね これでもね声帯使ってないから 踏みとどまってると思うんだよね 大丈夫 一線は越えてない 大丈夫 一線は越えてない でもね これね これでもね声帯使ってないから踏みとどまってると思うんだよね 大丈夫 一線は越えてない 大丈夫 一線は越えてない」
真顔でこちらを見ながらずっとそればっかりを繰り返す。
「うわーもうダメだ」と急いで宿直室に踵を返した。既に警備員はドアの前にはいないのに准教授はまだそこに誰かがいる体でずっと話している。
「でもね これね 一線越えてないから 大丈夫 大丈夫だと思う」
宿直室に着いて夜勤の上司に「ぶっ壊れました」と伝え一緒についてきてもらい、もう一度研究室に向かう。
そのフロアに入った時に気がついたが、さっきよりも輪をかけて声が大きくなっている。
「だからァ! 声出してなかったでしょ! 動作だけだったでしょ! ねぇ!」
もうどうにもできないと、警察と救急車を呼び、准教授は「措置入院」となった。
それからもう二度と准教授は "様々な理屈" で大学には戻ってこなかった。
ある大学でそういうことがあった。
【fin】
本記事は、著作権フリー&オリジナル怪談ツイキャス【禍話】第十六夜「ザ・禍話」より、編集・再構成してお送りしました。
禍話 - 第十六夜「ザ・禍話」(17:48〜)
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