【人生を生きる意味とはなんだ?】
高校1年生、16歳の秋。
母が亡くなってから
生きる世界が180度変わった。
毎月出ていく出費と
その金額を用意するために働く
ただそれだけの生活。
しかも、支払いが必要なのは学費だけではない。
母親が生活費のために借りた借金の返済分もであった。
お金のためにひたすら毎日働く、
しかも、部活と学校に行きながらだ
授業中に居眠りをしていたら、先生に怒られ反省文を書く始末。
そんなことが何回か続いた。
『おいたくや、学校に寝に来てるならもう来なくていいぞ』
『うるさいな、僕の事情もわからないで偉そうに言わないでくれ』
追い込まれすぎて、もう我慢の限界だった。
精神的にも、身体的にもかなり追い込まれていた。
それでも、お金が足りないからバイトを2つも掛け持ちした。
バイト中に、過労で意識を失って倒れたことさえあった。
それでも働き続けた。
その有り様といったら、意思のない操り人形以外の何者でもなかった。
なんのために生きているんだ。
”こんなの拷問じゃないか”
出口のない迷路の中でずっと走り続けているようだった。
”もう無理だ
これ以上続けたら、心も身体ももたない”
そして僕は学校を自主退学した。
17歳の春のことだった
生きていくために、お金を稼がないといけなかった。
すぐに、地元の食料品メーカーに就職した。
最初は、アルバイトよりもお金が稼げるから頑張って働いた。
正直、
”社会人なんて定時で働いて、業務を普通にこなしていれば大丈夫だろう”
そう思っていた。
でも社会はそんなに甘くなかった。
ノルマがあり、それに終われる日々。
僕は、思うように全然件数を上げれなかった。
気づいたら社会人になって2年経っていた。
朝、会社に行き
同じ仕事をし
定時になったら帰宅。
起きたら、次の日も同じことの繰り返し
そしてまた次の日も、、、
3年目になった
1年目で入ってきた新入社員の後輩の方に
気づいたら、成績を抜かされていた。
その時の僕は、生きていくことに精一杯でなんの感情も沸かなかった。
ただただ無力だった。
”仕事面倒くさいなあ、早く今日も定時来ないかなあ”
そんなことばかり考えていた。
完全に八方塞がりになっていた。
そんなある日、また上司から
『おい、たくやどうなってるんだ
お前、書類は完璧って行ったよな?
数値が一桁分、違くて先方の会社が激怒してるぞ』
発注書類の数値を間違えて入力してしまっていた
ミスに気づかずそのまま上司にも報告してしまっていた。
結果的に、悪気はなく、嘘をつくこととなってしまっていたのだ。
『お前は本当にダメなやつだな
成績も悪い上に、嘘つきなんて最悪だな』
その時、時間が止まったような気がした
”嘘つき?
嘘つきってなんだよ、、、”
「貧乏野郎、嘘つき」
小学生の頃の嫌な思い出が急に頭の中で再生され始めた。
”息をするのが苦しい
やばい、視界がクラクラする”
『たくや、おい、たくや!
話聞いてんのか!』
『すみません、今日体調が悪いんで帰ります』
一言、言葉を発するのが精一杯だった。
その後、上司がなんて返事をしたかなんて覚えていない。
バックを持って、半ば強引に会社を後にした。
”もうなんでもいいよ
全て放り出してやる”
後先考えず、気付けば、次の日退職届けを持っていっていた。
『お前、こんなに何年も続けて、ろくに仕事もできないようだったら
どこに行っても同じことの繰り返しだよ、お前は終わってるよ』
上司にそう言い捨てられて会社を辞めた。
20歳の春だった
その後、口座に少しばかり貯めていた貯金で細々と暮らした。
時間に縛られない
誰にも何も言われない
自由に過ごして
コンビニ弁当を食べて寝る
最高だった。
半年ほどずっとその生活を続けた。
ちょうど冬になった頃のことだ。
『たくちゃん元気?
交通費出してあげるから
今度時間のある時におばあちゃんちにいらっしゃい。』
母の葬式の時に初めてあった
母方のおばあちゃんからの電話だった。
”外に出る用事もないし行ってみるか”
山中にあるおばあちゃん家に着くと
大歓迎してくれた。
相当、僕のことを心配してくれていたようだった。
久々に人の温かさに触れた気がした。
おばあちゃんとまともに話すのは初めてで、
色々、母の話をしてくれた。
『たくちゃんパパの話は聞いたことはある?』
『いやほとんど聞いたことはないです』
『実はね、、、
パパは末期の癌で
たくちゃんが2歳にもならないくらいの時になくなったの。
赤ちゃんの時だからおそらく記憶にないでしょ。
その時ね、パパの治療費が準備できなかったから、ママはできる限り借金でお金を用意して払ったの。
でもね、治療費が足りなくて、完全に治療が受けれずパパは亡くなったの。
その後は、ママは本当に辛そうだった。
でも、ママは言ってたのよ。
「私はたくやのために頑張るの、どんなことがあってもたくやを幸せにできるする」』って
その後話を聞くと、その借金のせいで、僕の学費分を用意するのに借金をしていたらしい。
今思い返せば
辛い思いを私にさせないために
寝ずに働いて、僕を学校にまでいかせてくれて
最後も僕が悲しい思いをさせないように最後まで笑顔でいてくれていたと思うと、、、
母親はどんなに偉大な人だったんだ、、
それに比べて今の僕は、、、
その後、家に戻り、まだ放置していた母の荷物を整理した。
荷物をまとめた段ボールを開けるとあるものが出てきた。
『あなたは素晴らしい人です
どんなことがあっても新しいことに必ずチャレンジし続けなさい
なりたかった自分になるのに遅すぎなんてことは絶対にないから
お母さんはいつもたくやのそばにいます』
母からの手紙だった。
”今の僕はなんて生き方をしてるんだ。
クソみたいな人間になっちまってるじゃねえか”
惨めさとやるせない気持ちでいっぱいだった。
涙が止まらなかった。
その時、僕の中で何かが変わった。
母が自慢できるくらいビックな人間になるしかない。
俺が幸せになって、絶対母の願いを叶え切ろう。
”死ぬ気で人生を生き切るんだ”
今までにないくらいの緊張感を感じた。
今、踏ん張ってやりきれなかったら、今後の人生も同じようになってしまう。
その次の日、すぐに就活を始めた。
幸いにも、地元の営業会社に就職することができた。
入社した時僕の頭の中では、
”学生の頃、僕を馬鹿にしてきた同級生を見返してやる”
”馬鹿にしてきた元会社の上司を見返してやる”
”絶対に成り上がってやるんだ”
そう覚悟を決めていた。
不思議なようで入社後、
私は生まれ変わったかのように、
初月からトップの成績を取り取り続けていた。
今までの自分じゃないみたいだった。
そんな中、
驚くようなニュースが飛び込んできた。
元会社の上司が、亡くなったのだ。
あの時、自分を馬鹿にしてきた上司を
絶対に見返してやる
その一心で頑張ってきた僕は
なんのために仕事してるのかわからなくなってしまった。
その週末一人で河川敷に行って
考え直していた。
なんのために頑張るのか
その理由を考えた。
そして答えが出た。
僕が頑張る理由は本当の理由は
唯一の理由は
”母への恩返しと、身内の大切なひとを守るため
そのためじゃないか”
僕は今までどうにかしていた。
その時、やっと目を覚ますことができた。
”もう一度頑張るべき理由のために
頑張り続けよう”
それから二ヶ月くらい経ったある日の昼休み
昼飯を食べながら、インスタを見ていると、
たまたま、一つアカウントが目に止まった。
あからさまに成功者で、子供二人と奥さんと華やかな生活をしている人だった。
その時、強く思った。
”かっこよすぎる、、、”
”この方みたいに男として、
身内の人間を幸せに出来るかっこいい人間になりたい”
自分の中でうずいていた感情が爆発した気がした。
気づいたら僕はその方にD Mを送っていた。
「自己紹介の内容と
佐藤さんみたいになりたいんです。
一度お時間をいただけないでしょうか」
その方は気兼ねなく、会う日程を調整して下さった。
当日、指定されたホテルのラウンジにいった。
『君はなんのために稼ぎたいんだい?』
僕は、今までのことを全て話した。
そうすると
『覚悟があるなら明日までに5万円用意しなさい。
そしたら、また明日会う時間を作るよ。』
なんのために、お金を用意するのか、理解できなかったが、
素直にその方の言う通りにしてみようと思った。
当時、収入のほとんどを返済にあてていたため、
手元のお金は全くなかった。
”でも、明日までに絶対5万円を用意しないと、、”
どうしたら、準備できるか
必死に考えた。
”用意するのはきついのかもしれないな、、、
諦めるしかないのか、、、”
そう思いながら家に帰った。
でも、これであればいけるかもしれない!
唐突に思いついた。
とても苦しい気持ちだったが残された方法はこれしかなかった。
母がくれた、ジュエリーのネックレスだった。
これを売ればすぐにお金を用意することができる。
もうこれしかない。
すぐに質屋に行って査定をかけたら、
幸いにも6万円で買い取れるとのことだった。
このチャンスを逃すわけにはいかない。
”お母さんごめん”と思いながらも
すぐに売って5万円を用意した。
そして次の日5万円を持って
その方に会いに行くと
『よく今日も約束を守って会いに来たね。
正直、君が口先だけの人間なのか
それとも、きちんと行動できる人間なのか確認したかったんだ。
気持ちがあって、頑張りたいってやつはいくらでもいる。
でも、そこから行動に写せるやつはほとんどいない』
そう言って
その方は昔の話をしだした。
『僕は別に特別ななんかじゃない。
実は、最終学歴は中卒だ。
若い頃は、非行に走り、両親にはたくさん迷惑をかけた。
その後、高校に入学したが、周りにも馴染めず、いじめられていた。
でも、唯一そんな私にも居場所があったんだ。
当時、学生をやりながらやっていた現場仕事のバイト先だった。
もちろん、最初はできることなんて、ほとんどなかったわけで、
先輩が教えてくれることを素直に吸収して確実にできるようにしていった。
その甲斐もあって、先輩にもかなり評価してもらっていたんだよね。
それである時、バイト先の社長に。
「社長として、今の仕事で起業してみないか?
君はとても素直で、信頼できる素晴らしい人間だ。
将来性がとてもある。どうだやってみないか?」
唐突の出来事で訳がわからなかったよ。
この話を周りの人間にしたら、
地元の親友からは
「何言ってんだよ、
お前なんかができるわけなんてないだろ、絶対にやめとけ。」
母親からは
「学歴は大事だから高校はきちんと卒業しなさい
もし、卒業しないんだった、今後のことは知らないからね。」
最終的には、高校を辞め起業すると言ったら、縁を切るとまで言われた。
正直、自分が社長になって会社を経営できるかなんてわからなかったよ。
でも、当時は、なぜかすごいワクワクしていて、
やってみたい、チャレンジしてみたいって思ってたんだよね。
その状況を正直に社長に相談しに行ったんだ。
そしたら、こう言われたんだ。
「自分の人生の選択は、自分で決めるもんだ
やりたいと思うなら自分の直感を信じてやってみろ」
この言葉を聞いて、こう思ったんだ。
”人生は一回きりだ、やり直しなんてできない
後悔はしたくないから、やりたいことは、絶対やろう”って
自分の人生の選択を他人にされてたまるもんか
自分の人生の選択は自分自身ででするんだって。
周りの人間は、ほとんど全員反対していたけれども、
次の日にはすぐに退学届を持っていった。
それで、社長のところに行って、
「学校をやめてきたんで、社長をやらせてください。」
って言いにいっていたよ
そしたら、社長が私に
「チャンスを目の前にした時、
そのチャンスを物にできるのは、チャレンジするという選択をできた人間だけだ。
だから、君は絶対にビックになるよ。」
って言ってくれたんだ。
だから、当時の私と同じように、
決断をして、行動にうつせている君は必ずビックになるよ。
私が保証する。
ただ、ビックになるにはこれ以降一つだけ条件がある。
これだけは守ってくれ。
何があっても、どんなに逃げ出したい状況になっても
結果が出るまで必ず諦めずにやり続けろ。
絶対にやり続けろ。
16歳の左も右のわからないガキンチョで、
いきなり最初から社長なんて務まる訳がなかった。
仕事を辞めて今の状況を投げ出したいなんて何百回思ったことか。
でも、社長がその度言ってくれたんだ。
って
その言葉に何回も救われたよ。』
そして2時間ほどその人は他にもたくさんの話をしてくださった。
そして最後に
『特別に君には私が長い年月をかけて、手に入れたすものを全て教えるよ』と言ってくださった
『なんで、そんな思いをしてまで得たものを、簡単に教えて下さるんですか?』
僕は、疑問で仕方なかった
そうするとゆっくりとその方は話し出した。
『正直、君には今特別な能力やスキルは持っていないかもしれないが、
一つだけ重要なものを持っている
やりたいと思ったことをやりきる行動力だ』
君たちに伝えたいこと
君は今
自分はこうなりたい
自分はこういう風になりたい
理想の自分がいるはずだ
でも、自分には無理かもしれない
そう1ミリでも考えていないかい?
今まで何回かサイコロを振って
いい目が出なかったからって
サイコロを次に振るのを怖がってないかい?
また悪い目が出てしまうんじゃないか?
自分にはいい目が出せるのか?
おそらくそう思っているかもしれない
でも、僕の人生はどうだった?
平凡な人間の人生はどうだった?
僕は貧乏で孤独で、
何もできない、凡人だった
仕事もできない、約束も守れない
そんな人間で
何回も失敗してきた
何回も悪い目ばかり出してきた
でも僕はどうした?
良い目が出るまで何回も振り続けてきた。
ふれる時間ふれる回数は決まってるんだ
だから、出せるか出せないかかなんて考えちゃダメだ
出したいか出したくないかだ
自分が理由でいい目を出せるようになるか?
平凡のな自分が結果だせるか?
なりたい自分になれる人間は
いい目がでるまでぬふり続けた人間だけ
やり続けた人間だけだ
過去がこうだからあ
ああだからこうだからとかは
関係ない
やりたいと思ってやれるかだ
やりたいと思ったことは必ず実現する
君たちには伝えたい
こうなりたいって思ってやれば必ず夢は叶う
できるかできないかで判断するんじゃない
やりたいかやりたくないかで決めるんだ
これだけで君の人生は変わる
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