感情表現での怠慢さ
人間という概念は愛しているが、個々の人間を愛せるかと言われると自信がない。
思考や意志の理解を拒絶した相手をなぜ愛することができようか。
拒絶というのは理解の放棄とも言い換えられる。
私の理解を放棄した人を私は愛せない。
一方で、私には理解してもらおうと言葉を尽くす努力が不足していた/いるともいえる。
幼少期から人間との会話を怠った結果として、感情表現に関する言語体系の構築が年相応に成熟しなかったことがその原因だろう。
かつて、人間は成長段階に応じて感情が細分化されると家庭総合か何かの教科書で読んだのだが、自身の感情の大雑把さに驚いたことを思い出す。
今は自身を表現する気力もない。
誰も心の中に踏み込めぬよう、隙を見せぬようにせねばなるまい。