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旅の終わりを決めた話。 〜軽くなったのに、飛べなくなった〜
<世界一周1年半あたり・アルゼンチン・メンドーサ>
メンドーサのワイナリーを自転車で巡った一日。
(メンドーサの魅力はこちらの記事にまとめてます)
私たちが一番気に入ったボテガ「TEMPS」のテラス席。
空は晴れ渡り、広大な葡萄畑と、その先にアンデスの稜線。
私たちの中の「世界一のワイン」を見つけ、その香りを楽しんでいた。
自然に流れていたクラッシックだかのBGMが終わり、たぶんCDを切り替えたのだと思う。
瞬間、グラスを持つ手が止まってしまった。
Jason Mrazの曲が流れ出したからだ。
「If It Kills Me」、「Love for a child」。
別にどちらも旅の歌ってわけじゃないけど、
勝手に、涙がじんわり溢れてきた。
隣を見たら勇輝も同じだった。
二人でずっと広がる景色を見つめていた。
Mrazの曲は、私たちにとって特別で、宮古島で結婚式をした頃の、思い出そのものだった。
あの日のことが猛烈に蘇ってくる。
4年前の、幸せで幸せで幸せだった日。
皆の汗と笑顔。青空と夕焼けと星。
どこまでも未熟だった私たち。
その頃だ。旅に出ることを本気で決めた。
1年半後、東京を飛び出した。
友人たちに見送られ、片道チケットで
むっと暑いムンバイに降り立ったときのことが浮かんできた。
そこにはまったく旅慣れていない、ガチガチの私たちがいた。
必死でガイドブックを見るんだけど、何をするにも手間取って、パワーが要って、時間がかかった。
怖くて不安で、遠めからソロソロと間合いを詰めるようにしか、いろんなものに近づけなかった。
今思えばその足取りは重く、そのくせ無駄にバタバタして滑稽だった。
見えていた視野は小さな子供のように狭かった。
それでも、一瞬一瞬に驚きと感動が溢れていた。
旅が毎日になり、旅が生活になり、
日本ではない場所にずっと居て、2歳も歳を取ろうとしていて。
私たちは、気づけばムンバイの頃と別人かのように旅慣れていた。
ガイドブックなんて持ってなくても情報を集め、バスや電車を乗りこなし、ローカルフードで腹ごなしをし、どこでも行きたいところに気軽に行けるようになった。
怖さも不安もほとんど感じなくなっていた。
視野は広く、たくさんのものが見えるようになった。
でも、ボヤケたレンズで見てるみたいに
感動が薄れ、ふうんと流すことが増えていった。
「軽くなったのに、
飛べなくなってしまった」。
始めは気のせいかと思ったけど、徐々に焦っていった。
「あれ?どうやるんだっけ?」
お互い口にするでもなく、普通に過ごすフリをしながら、
「あの」感覚を取り戻したくて、旅を楽しみつつも、どこかでもがいていたんだ。
ペルーの語学学校やマチュピチュトレッキング。
ボリビアのパーマやウユニ塩湖。
チリのビデオ作成や別行動のパタゴニアと農場。
自分の心と身体のいろんなところを刺激するかのごとく、さまざまな挑戦やら娯楽やら景色を投与し、待ち続けた。
「石が転がる」のを。
「アフリカよりもっと大きな何か」が訪れるのを。
そして今、アルゼンチンでワインを飲みながら、
色んな場面を思い出し泣きながら笑う私たちがいる。
再び飛ぶ方法は見つからないままだけど、
どうして飛べないのか、その理由が分かった気がしたんだ。
東京を出て1年間。
素晴らしい旅をしてきた。
出会いが数珠繋ぎにつながり、汗を流し涙を流し、生涯の友ができるような旅をしてきた。それはそれは、心震える日々だった。
「転がる石のような」旅をしたあとで、
私たちの中には小さな期待と驕りが生まれた。
気づかぬうちに、それは日を増して大きくなった。
あの輝いた日々は、
転がろうと目論んでやったんじゃなく
ただ必死に鼻水出して泣きながらやってたら
大きな何かの力で転がしてもらっただけなのに。
それを、後で知ったような気でまた転がろうとしても無理なのだ。
性悪じいさんが大判小判を期待して花さか爺さんと同じ場所を掘るのと同じだ。
それがつまり、飛べなくなった理由なんじゃないかと思った。
世界への期待と、自身への過大評価。
なあーんだ!またお前らか!と思った。
旅の始まりからずっと、対峙してきたもの。
長い間自分の中に染み付き繁殖した
毒のような菌のようなもの。
それは、傲慢であり、自我であり、偏見であり、欲だった。
折々に違和感を感じ捨てたいと願い、失敗と反省を繰り返してきた。
なのに、アフリカのあとで心の中に巣くったそれらの正体を見破れず、侵され、見失い、もがいて、こんなに時間がかかってしまった。
いつか、素晴らしい出会いのためには、アンテナを立て、周波数を出して、などと偉そうに語ったけど、そこには謙虚さと誠実さと、ひたむきに何かに向かう気持ちが大前提だったのだと思う。
期待と欲とともに、ただただ「大物」を釣り上げようとアンテナを高く広く張ったところで、誰もひっかからなくなった、そんなの当然じゃないかと思う。
自分は何を学びたいのか、どう成長したいのか、学んで何を成したいのか、
それが確かに手の中にある、もしくは掴みたくて懸命にもがいている中で
しかるべき時に縁が生まれ道が開けるんじゃないかと思う。
旅慣れて、軽くなったのに、飛べなくなった。
怖さや不器用さ、迷いやぎこちなさを脱ぎ捨てた代わりに私たちは、知らずのうちにとても重いものを背負いこんでいたんだ。
そう知って今、
懲りないんだけどもう一度思う。
自分の汚さとの闘いを諦めず続けたいと。
少しでも「よりよき自分」を目指したいと。
そして言い聞かせる。
高みを目指すことは、真新しく派手な体験をすることでも、社会的大物と出会うことでもない。
その真逆にあるものなのだ。
何かや誰かじゃなく、まず自分自身と向き合うことなのだ。
それは旅が終わってもずっと続くもの。
でも苦しいものではない。
幸せを創り出すことにきっと繋がっているから。
自分たちなりにいろいろ考えて話をして、少し視界が晴れてきたんだと思う。
すうっと身体が楽になって、自然に笑顔になっていた。
本気で叱ったあとに、ちょっと自分に優しくなることができたのかもしれない。
私たちの歩んできた道、
未熟さも悶々も失敗も後悔も、
そういうの全部ひっくるめて
誇りに思う気持ちと、大きな大きな感謝が沸いてきた。
なんて素晴らしかったのだろう。
なんて素晴らしいのだろう。
今までと、これからが、キラキラしだした。
こんな私たちに笑顔を向けてくれた人全員、
つたないブログを読み、見守り、励ましてくれた人全員に、
心からのありがとうとHUGをしたくなった。
私たちは9月まで、もう一度、新しい旅を始めてみます。
転がるとか飛べるとか悩むのをやめて、
軽く、軽く。
口笛を吹きながら、
愛と感謝を胸に抱きながら。
(MIWA)
2011年5月末