昨日したかった話:演劇はアイデンティティのラスト・リゾートになりうるのか
こんばんは。2月はノート毎日更新。ひげざえもんです。ひげざえもんです。ひげざえもんです。3回言えば、人は覚えてくれるんだそうです。覚えてね。
昨日したかった話の続きをします。昨日は僕の舞台経歴の最初らへんを説明しました。まぁ今も全然最初らへんですが。
ざっと纏めると、中学で初舞台。演劇で他人になることによって孤独から救われたみたいな感じです。これだけ読むと意味不明ですね。昨日のノート読んでください。
さて、今日の本題です。人間にとって孤独は猛毒です。これは比喩ではなく、孤独はタバコを一日に一箱吸うのと同程度死亡リスクを増大させます。こわい。
死ぬのは嫌なひとは多いと思うので孤独から逃れる術というのは何なんでしょうか。
第一に家族です。統計を見てみると独身男性のほうが既婚男性よりも早死していることがわかるそうです。孤独の毒性が実感できる数値がでてるそう。しかしこの家族というのも現代では機能不全をきたしているようで。生涯未婚率はグングン上がり、親子関係においても機能不全をきたしているケースをニュースで聞かない日はありません。ツイッターなんかを見てみると、毒親とかそんな単語は溢れかえってるしね。検索するからだけど。
第二に職場や学校でしょうか。友人は大切です。しかしこちらも機能不全をきたしているようです。仕事はクソどうでもいい仕事に溢れているそうです。なるほど、では学校は? 昨日のノートで説明しましたが僕にとっては牢獄でした。こっちもだめか。
で、最後に残るのが、アソシエーション。英語で書くとAssociation。かっこいい。つまり、目的を持って作られた共同体です。演劇は一人劇であったとしても、アソシエーションとしての性格を持ちます。役者仲間と演出と舞台の周りを作ってくれる人と緩く仲間として、時間をかけて作っていく舞台はその中にいる以上強く包摂されているんだと考えていいと思います。
状況によっては、演劇仲間といるほうが家族といるよりも心地よい瞬間みたいなものがあるんではないでしょうか。僕にはありました。
演劇、演劇と繰り返して来ましたが、演劇でなくてサッカーでも野球でも個々人に応じてそういう集団はあろうかと思いますが、僕の知っているそれが演劇位しかないんすよな。説明しやすいものとしては。
AIが仕事を奪うと言われてるようになって久しいです。今のところ、僕の仕事を人工知能が奪いそうな気配はないんですけど、加速している現代において5年後はわかりません。ベーシックインカムのような労働からの手切れ金を渡されてただ呆然と過ごすだけの日常がやって来るかもしれません。
そんな未来に、気軽に演劇をするという選択肢があれば、孤独から救われ、退屈をしのげるのでは?と考えています。
落合陽一が言っていました。人工知能で人間は恋愛位しかやることがなくなる。恋愛ばかりやっていても、しんどいような気がするので、原始的なエンターテインメントである演劇の可能性も拡大してくるような気がします。
今のうちに演劇しとくと草分け役になれるかもよ?お得ですよ?
なーんて、妄想をしながら今日のノートはここまでとします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?