カウンセラーからワーカーの時代へ
「おせっかいワーカーになろう㉓」
古い話になります。私が児童福祉に携わり始めた70年代終わり、家庭で養育できない要保護児童が児童養護施設に入所するために児童相談所から送られてくるケース記録(当時は青焼き)は相当な厚みがありました。親の死別や離別によって、子どもを家庭で養育できなくなった場合、当時の社会は、まず近所の知人や親族が一時的に面倒をみたり支えたりして、長期化しそうになると何とか親類縁者を頼って育てる人を探そうとしました。そのために、何度も転居・転校した子どもの移動の記録がたくさん残されていたのです。
そして、記録には本人、きょうだいの成育歴はもちろん、父母の生い立ち、職業、なれそめ、祖父母や伯父叔母等の学歴、職歴、暮らし向き、対人関係に至るまで事細かに調べてありました。少しでも可能性があれば、子どもを引き取って育てられないか、それが無理ならば盆正月など定期的に帰省させたり面会できないか、誕生日や入学卒業など祝ってもらえないか、とお願いし続けたのです。ケースワーカーは粘り強く関係者を訪ね歩きました。
その時代に、必要とされ始めたのがカウンセラーの存在でした。地域社会や企業社会が、曲がりなりにも一つの家族のように機能していた時代には、そこから外れたり傷ついたりしてこぼれ落ちてくる人を受けとめて、悩みを聴いたり癒したりするカウンセラーの存在が求められたのです。カウンセラーに癒やされたり元気を取りもどした人は、また社会に戻っていきました。
しかし、日本社会は大きく変化して、家族や地域社会がつながりを失い、支えあいながら子育てや介護、お世話しあう機能を十分に果たせなくなってきました。そのために、こぼれ落ちてくる人を待っているだけではなく、家庭や地域社会に出かけて、つながりを取りもどしたり、新しい関係をつくったり、うまく機能するように働きかける(おせっかい)ワーカーが求められるようになったのです。社会そのものを修復する、補う、あるいは新しく創ることが必要になったのです。
かつてのケースワーカーは既にある、あるいは眠っている血縁や地縁を探して、十分に機能するようにアレンジする仕事でしたが、これからの(おせっかい)ワーカーは、地域社会を新しく創造していくことも必要なのだと思います。
【労協新聞2018年「おせっかいワーカーになろう㉓」】