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光る君へから学んだ「もののあはれ」の本質のほんの先っちょの話

一年を通して珍しく視聴を完走した大河ドラマ光る君へが終わってしまった。なんやかんや毎週楽しみにして見過ごしてしまった回もチラホラあるものの、歴史の流れとしてだいたいの本流はあるのでなんとか補完しつつ見終わった。

私はあんまり生きている人間に関心が持てない人間なので芸能人の名前もほとんどうろ覚えだし、311以降は地元のニュース以外はほとんど見ない生活だ。映像というのは、心身が弱っている人間には暴力なのだ。共感性が高過ぎるのか、邦画も辛い内容のものは絶対に見れない。昔告白を見てとにかく落ち込んで、二週間くらいほとんど寝れない食べれなくなってしまった。昨品としては素晴らしいし、松たか子さんの嗚咽はトラウマものだ。だから、私はもう二度と見たくない。映像の力はすごい。例え虚構の物語でも、人の心をゆり動かし、時には多大に傷付け涙させる。

ほとんど娯楽が無かった時代に、源氏物語がどれだけ持て囃されたのか。私には想像も付かなかった。娯楽というのは、生きる為の寂しさや辛さを緩和させる為に必要なものだ。もっと言うと、魂の慰めだ。私はヲタクなので、辛いことがあると自分の世界や二次元の妄想の世界に逃げ込む。現実の些細なことで傷付いてはそうして何とか自分の殻を作り、自分を癒して守ってきた気がする。

大河ドラマ内の筆者ことまひろは元祖ヲタク少女という感じのキャラクターで、当初はその言動に我が事ながらハラハラした。漢文を嗜み海の向こうに憧れを抱きながら、籠の鳥であるやんごとない人達の魂の慰めとして書いたのが源氏物語だったーーーというのが、ドラマ内の設定だ。

現実というか、本当はどうして源氏物語が生まれたのか。紫式部がどういった人となりだったのか。道長との関係はどうだったのか。後の世に生きる我々には残された文書から想像して、パズルのように穴埋めしていくしかない。というか、よく数々の物語や日記を残してくれた!すごい!日本人のとりあえず記録しとこ♫そしてそれをとっとこ♫という精神、極まってる。

話は変わるが私はFGOというソシャゲでヘクトールと偉人が好きになり、難解なホメロスの書もなんとか読み砕いた。ホメロスの物語は他にもあったらしいが、残ったのは壮大なトロイ戦争を描いたイーリアスと、英雄オデュッセウスの流浪の旅から帰還までを描いたオデュッセイア、この二つだけらしい。というかホメロスが実在したかも、この二つが本当に著作なのかも実際は分からないらしい。そりゃそうじゃ☝️(突然のオーキド博士)

紫式部や道長キャラクターや二人の関係性が脚本家ならではのアレンジや展開にされてもあまり抵抗が無いのは、FGOが歴史や偉人を違った切り口や見方から再定義する流れがあったからだと思う。とにかく、存在すらあやふやな人がどうだったかなんて知る由もないしわかりっこない。肝心なのは、描かれた物語から感じ取れることだと思う。私はこのドラマや解説してくれるYouTubeを通して、平安時代に生まれたのもののあはれの本質の先っちょを、ほんの少しだけど掴みかけたような気がする。

あれだけ栄華を極めた藤原家の望月の世はすっかり欠け、月の周期のように時代は巡り残されたのは栄華を記した書物や日記達だけ。生きることはなんと険しく、悲しく、虚しいことか。私はもののけ姫に出てくる、エボシ御前の秘密の庭に匿われている包帯ぐるぐるの長老(特定の疾病を揶揄したくないので、あえてこう書く)を思い出す。生まれ乍らに世の辛苦の全てを纏い傷付きながらもようやっと生き、そして今まさに灯火が消えそうになっている老体から放たれる重い言葉の本質は、未だうら若く英気に満ちたアシタカには知る由も無い。しかし苦難を乗り越えたアシタカは悟る筈だ、老人の真意を。生きることの険しさ、辛さ、惨たらしさ、虚しさを。だが最後に小さな希望が残った。物語はやはり希望がなければダメだ。魂の慰めなのだから。

だから、どうして源氏物語において光る君の最期が描かれていないのかようやく分かったのだ。最期をあえて書かないことで読み手に委ね、希望を持たせたのではないだろうか。巻物の後半については、式部ではなく娘が書いたという説がある。母の思いを汲んで、あえて最期を書かなかったという説も私は好きだ。後世の人が色々と思いを巡らせていることを、まひろは嬉しく思うだろうし、現代に生きていればエゴサし感想や考察を見まくっているだろう笑。

私のような若輩者がもののあはれを悟ったなどと言うと笑われるだろう。最近お札が新しくなり北里柴三郎を目にする機会も増えた。未だ予防接種や医学が万全でなかった明治大正の平均寿命はおよそ40〜45歳である。それを北里先生がどうにかこうにかして存えさせてくれちゃったのである。(ゆっくり動画で学んだが、本当に森鴎外一派や東大医学部は酷い。学閥やプライドによって本来認められるべき功績が握り潰されるの、攻殻SACの硬化ワクチンやセラノ関連ぽいなとも。)本来ならば、私はもうすぐ寿命である。だから生き物としては差し迫っているので、人生においてのなんらかの何かという漠然としたものを悟りかけても全くおかしくはない。

だが精神は未成熟なままだ。というか寿命が伸びた分、現代人のネオテニー化は凄まじい。ようやく最近大人になった気さえする。ハードはメチャクチャ強化されたものの、ソフトは未だXPでチグハグになっている気がする。XP好きだったけどね。OSたそ懐かしい😭

恐らくは平安時代のアラフォーと今のアラフォーでは価値観や考え方や精神性がまるで違うだろう。半分鬼籍に入るような出家の重大性も私たちにはイマイチ掴みきれない。というかもう既に若い人達の感性や言葉についていけない。エグいて。捲れるて。私はようやく、時代の波からすっかり取り残される側になったのだ。流行り廃りに踊らされることなく、周りを見て焦る訳でもなく、自分のペースで好きなものを楽しんで良い年になったのだ。

長かった私の思春期は、最近ようやく終わった気がする。傷付くことがあっても自分で機嫌を取り、たくさん寝る。二次元に逃げることや妄想に耽ることも無くなりつつある。このままヲタクではなくなるんだろうか?虎危機を抱くが、周期的なものでまた急に見たくなったり調べたくなったりする。

上手く言えないが、魂の慰めはたくさんあった方が良い。人生は、若く楽しい時よりそうで無い時の方が圧倒的に長い。私は気が遠くなる。あと、何をして過ごせば良いんだろうと。好きなことはだいたいやった。やりたいこともした。行きたい場所はたくさんあったが、どうにも行けそうに無い。でも希望はある。人生は確かに虚しいし辛い時があるが、嬉しい楽しいこともある。


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