元作詞家の見解「尊敬すべきメンター」
三十数年来の友人
美容師のI氏
彼とは二十代半ばからこれ迄の付き合いになります。多くの友人の中でも、私は彼を一人間として、またプロの職人として最も尊敬しております。年齢は三つ先輩になる、それは素敵な男性です。
出会いは私が社会人として初めて勤務したプロダクションにいた頃になります。当時彼は私の先輩女性社員とお付き合いされており、そんな関係から
髪を切ってもらうこととなって思えばもう三十数年が経ちました。彼は師匠が経営する店舗でそのキャリアをスタート、半ば店舗は次々と数を増やしオーナーも御息女に代替りされましたが、現在もその下現役スタイリストとして活躍しています。見た目スラっとした体型に、常時飾り立てることなく且つセンスの良いシンプルな出で立ちが当初より私にも好印象でした。店舗で会う以外にもプライベートで食事をしたり夜遊びに出掛けたりと、特に若い時分には多く時間を共に過ごしましたが、特段彼の口から人生論や仕事の話を聞いた訳ではなく、私なりに彼の生き様を見ながら感ずることが多々あったのです。ある意味それは憧れでもあり誠の手本となるものでした。
人間として
スタイリストとしての評価は大層高く、多くの有名人からの指名も絶えない彼ですが、そういった内容の話を今だほぼ本人から聞いたことがなく、こちらから尋ねても笑いながら答えてくれません。噂ではサッカーで活躍されたN田氏のソフトモヒカン•スタイルは御二方の間に生まれたアイディアだったとか…。何せ数々のコンテストでの優勝経験やら、理容世界大会の日本代表であったことなど私が知ったのは極最近で、しかもそれが本人の口からではないところが驚きであり且つ憧れるスタイルなのであります。
ジャンル問わず昨今はあちらこちらにカリスマが氾濫し、その基準たるや極めて不明瞭に思います。私にしても特に若い頃ならちょっとしたことでも自慢したく仕方がなかったものですが、彼は常に出過ぎることなくフラットに振る舞います。そういう男ですから影での努力など微塵も見せないでしょうし結果についても一切語らず、たまたまそんな話題になっても
「そんなの随分昔のことだよ」
とはぐらかされてしまいます。ここに学ぶのは、“真の本物は決して多くを語らず” です。
職人として
私は一時期東京を離れたことがあります。その間は時間の関係で時折やむを得ず他の店に行きましたが、するとそこで彼の職人としての偉大さがまた浮き彫りになります。
① 整理整頓された引出しの絶対数
…引出しの中には知識や経験、アイディア等が収まりその数は多数ありますが、何処に何が保存済みかは全て把握されています。先ずこちらのリクエストを瞬時に理解する。トレンドを言う人もいれば見本になる役者の名を言う人も、必ずしも上手な説明とは限りません。その情報に素早くアプローチし次のステップをスムーズに迎えるため、適切な引出しから適切なものを抜き出すのです。プレーヤーが変わると、中々このコミュニケーションが思うようには進みません。
② ①の結果をクライアント毎、具体的に落とし込むセンス
…出来上がりに拘らずその通り単純な施術なら誰にでも可能かもしれません。誰にでも似合う似合わずの適性や
彼にとっては髪質等との相談もあるでしょう。これらを一瞬に判断し提案、クライアントの理解納得を得る迄が準備かと思われます。これが創造性であり、知識や経験を超えたセンスが問われる領域です。それまでのバックボーン、勉強や遊びの中で培われた彼のそれは先述の身嗜みや語り口調等から読み解けます。昔私が銀髪にしたい旨伝えた際には、“地肌、髪が痛むから” という理由で即座に却下されました。
③ 具現化の技術
…後はこれを主観的、客観的に最高な形に表現するスキルです。ここについては細かく言及出来ませんが、概ねは才能•センス、それを更に向上させた努力と言えるでしょう。亡くした私の両親も彼以外に髪を触れさせませんでしたし、何人の知人に紹介を求められたことか…伸びた後の手入れの簡易性まで計算されていれば流石に文句の付けようがありません。
私もクリエイターの端くれだった頃には、以上三点を中心に彼からたくさんの仕事術、創造力、想像力を見ながらに学びました。それらがどう彼に備わったかは無論不明ですが、既に持ち合わせた生きる手本として、私にとっては尊敬すると同時に大切な友人だった訳です。
今ではお互いに歳も取り、昔話に花が咲きます。皆さんには、こと同世代のご友人に良きメンターはいらっしゃいますか?