AIがシンギュラリティを迎える今、筍を煮ながら緩く人間に残された道を考える。
大好きな言葉 /
Steve Jobsが残した”Connecting The Dots"と言う言葉がある。
僕は35年近く飲食の世界にいた過去がある。そのおかげか料理は大好きだ。上手い下手より好きなのだ。飲食の世界に居たことが今こんな形で役に立つとは思っても見なかった。友達の和食店オーナーからアドバイスも貰えるし、ネットで調べれば調理方法、レシピも教えてくれるという便利な時代だ。
そして、大病して体力的に飲食の世界では生きていくことが出来ないと悟り、過去に写真の学校で学んだことを生かしてカメラマンに転向する。そして夢中になってどうにか仕事に結びつけることも出来た。
今夢中なことに集中することが大事、それは財産となるから。
初めて生の筍を糠と鷹の爪で炊き一晩放置。すっかりアクが抜けた筍を使い早朝から煮物を作る。柔らかく筍に染みた汁が美味しい。
AIがシンギュラリティを迎えている今でも、暫くは手作りする喜び、それを”美味しく頂き、ありがとう”と言って貰える愛は人間に残された特権だろう!カメラ(圧倒的な存在感のある手に馴染む機械でそっとシャッターを押す)にしても車、バイク(人馬一体、羊の皮を被った狼)にしても5感に訴えるものはそう簡単にはAIに超えられないと思うがどうだろう。五感を楽しむという行為自体に生きがいを見出すかもしれない。そしてAIを活用するその行為、工程もきっと楽しいと思えるのが人間に残された道のようにも思える。圧倒的な情報処理能力があるAIから出てくる世界は人間より素晴らしいもので驚きに満ちて行くだろ!でも、いつか当たり前になり感動もしなくなることがあるかもしれない。その時に人間が出来る事の価値が見直されるのかもしれない。それまで人間力を鍛えておきたい。
まぁ〜生きてる間に3次産業革命を体験できる時代に生きていることに感謝です。タケノコを煮ることが楽しいと思え、AIの進化をみられることにワクワクしています。ついていきます。
hiro
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?