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トーマス・マン「ゲーテとトルストイ」に関するメモ③ひとはその生まれによって、その肉と血の故をもって高貴なのです。つまり高貴性とは肉体的なものなのです。


 
(霊場)
「ワイマールとヤ―スナヤ・ポリャーナ。今日世界に、この二つの場所ほどにエネルギーを放射するところはなく、ひとびとの憧憬とそこはかとない希望と崇敬の願いとが巡礼していった霊験あらたかな巡礼地はありません」
 
ゲーテはたんなる詩人ではなく、人生の王侯、ヨーロッパ文化、教養、人間性の最高の代表者であった。ワイマールには教養人士や王侯や芸術家や青年や、あるいは田舎者たちが陸続として押しよせていた。
「彼らは、ゲーテをまのあたり見ることが許されたという意識が、彼らの余生を飾ってくれるだろうと考えているのです」
 
1900年のころ、ヤ―スナヤ・ポリャーナは世界中のひとびとを引き寄せる渦巻の心、中心点、一つの霊場となっていた。
ゲーテの時代よりも交通が発達し世界が拡大されていたので、ヤースナヤ・ポリャーナに押し寄せてくる巡礼者の群れはいっそう多彩で、国籍のうえでも多様なものだった。(40ページ)
 
ゲーテにしてもトルストイにしても訪問者たちに対して発した言葉や思想が、つねに特別偉大であったわけではなかった。
 
「問題は、そもそもひとびとは偉大な言葉や思想を求めてワイマールや「光の森の牧場」(ヤ―スナヤ・ポリャーナ)へやってきたのか、それとも、むしろもっと深いもっと本源的な欲求に導かれてやってきたのかということ」
「ひとびとはそこを訪れることによって授けられる祝福を期待しているのですが、そうした地上の一角がもつ世界的な魅力は、決して精神的な性質のものではなくて、まったく別のなにものかであるなどといえば、神秘主義だと非難される怖れがありましょう。しかし私(トーマス・マン)はやはり『もっと本源的なもの』という言葉しか思いつかないのです」
 
ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767生―1835没 プロシアの政治家、言語学者、ゲーテと親交があった)はゲーテの死の数日後にこのように述べた。
「注目すべきことは、この人がいわば自らなんら意図することなく、無意識のうちに、唯々その存在によって、あれほど力強い影響をおよぼしたということである」「このことは思想家や詩人としての彼の精神的創造とはまったく異なったものであって、彼の偉大にして独自な人格のひこばえなのだ」
 
これに激しく同意するトーマス・マンは言う
「しかし『人格』という言葉は、結局のところ規定することも命名することもできない何物かに対する苦しまぎれの表現なのです。人格は精神と直接かかわるものではありません。文化ともそうなのであります。―この概念を用いる時私たちは理性的なものの枠の外にあります。この概念とともに私たちは、神秘的なもの、本源的なもの、自然的なものの領域へ入りこむのです。『偉大なる自然』―これは、あの世界を引き寄せる力を放射するものに対して、それを表わす公式や符牒を探し求める場合に、よく用いられるいまひとつの言葉です。しかし自然は精神ではありません。それどころかこの二つは、あらゆる対立のうちで最も対立的なものといわなければならないでしょう」(42ページ)
 
ゴーリキーはトルストイのキリスト教的・仏教的・中国的な聖賢の教を信じなかった。さらにいえば、トルストイ自身それを信じていたかどうかを疑っていた。
それにもかかわらず、ゴーリキーはトルストイを眺めて「この人は神に似ている」と考えた。
「ゴーリキーにこの内心の声を叫ばしめたものは精神ではありません。それは自然なのであります」
 
ワイマールやヤ―スナヤ・ポリャーナに押し寄せた巡礼者たちが、元気づけられ慰められることをおぼろげに期待したものは、精神ではなく、偉大な生命力、祝福にみちた人間の自然、高遠なる神の子をまのあたりに眺め、それにふれることだった。
 
シラーは、重い病のときも、その訪問客に対して親切で人間的であった。それに対し、ゲーテを訪れた人のうちには期待に反した冷ややかな応接と不親切な応対に傷ついたものもあったのである。
ゴーリキーと一緒にヤ―スナヤ・ポリャーナを辞去したモスクワの実直者(チェーホフ?)はしばらくのあいだ息を整えることができなかった。すっかり動転して、ようやく苦し気に微笑を浮かべて、こう繰り返した「いやあ、どうも。こりゃあ、水をぶっかけられたような気持ちだ。こわいお方だ…えいっ、いまいましい。あの人は本当に無政府主義者だと思ってたんだが。」(44ぺージ)
 
このモスクワの実直者が訪れたのがドストエフスキーだったならば、おそらくドストエフスキーのほうが「もっと無政府主義的」であることを、つまりもっと「こわく」ないことを発見し、はるかに慰めを与えられて帰っていったに違いない。
ところが、シラーもドストエフスキーも地上の一角を霊験あらたかな霊場とはなしえなかった。二人ともそうするに充分なほど長生きしなかった。
シラーは1759年11月10日生―1805年5月9日没 45歳
ドストエフスキーは1821年11月11日生―1881年2月9日没 59歳
 
「自然は彼ら(シラーとドストエフスキー)に高齢者の威厳と神聖さを拒み、人生のあらゆる段階でそれぞれの特徴をもった果実をみのらせ、完全で古典的な生涯を生きぬくことを彼らに許さなかった」
「年古りたもののもつ尊厳は、精神とは何のかかわりもないということを、私たちは改めていておかなかければなりません。老人というものは愚鈍であろうと月並みであろうと、世間のひとびとはその白髪と皺とを宗教的な畏敬の念をもって眺めるものなのです。それは老齢の与える自然の高貴性です」
 
「自然の高貴性」とは同意語反復である。高貴性はつねに自然的なものであるからだ。
「ひとはその生まれによって、その肉と血の故をもって高貴なのです。つまり高貴性とは肉体的なものなのです」
 
それゆえに貴族達は、精神よりもつねに肉体に重きを置いてきた。
「あらゆる人間的な高貴性につねにつきまとっているある種の残忍さという特質は、このこと(貴族達が精神ではなく肉体に重きを置いていること)に関係があるかもしれません」
(45ページ)
 
(参考)(訳者による解説)
イロニー 生のためにする精神の自己否定
 
生=ハンス・ハンゼンとインゲボルグ・ホルム
精神=トニオクレーガー
 
「生が精神の側に歩み寄ることが決してないことを知り尽くしていながら、激しく生に憧れ、生を描き形象してゆくことを自己の使命としようとするトニオクレーガーの考え、生き方がイロニー」
 
シラー「素朴なるもの=自然」「情感的なるもの=自然を求める努力」
「自然=マンのいうところの生」
 
「自然=ゲーテ・トルストイ」
「精神=シラー・ドストエフスキー」
 
 


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