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トーマス・マン「ゲーテとトルストイ」に関するメモ③ひとはその生まれによって、その肉と血の故をもって高貴なのです。つまり高貴性とは肉体的なものなのです。
(霊場) 「ワイマールとヤ―スナヤ・ポリャーナ。今日世界に、この二つの場所ほどにエネルギーを放射するところはなく、ひとびとの憧憬とそこはかとない希望と崇敬の願いとが巡礼していった霊験あらたかな巡礼地はありません」 ゲーテはたんなる詩人ではなく、人生の王侯、ヨーロッパ文化、教養、人間性の最高の代表者であった。ワイマールには教養人士や王侯や芸術家や青年や、あるいは田舎者たちが陸続として押しよせていた。 「彼らは、ゲーテをまのあたり見ることが許されたという意識が、彼らの余生
トーマス・マン「ゲーテとトルストイ」に関するメモ②ルソーの自然に対する関係は「情感的(ゼンテイメンターリッシュ)」なもの」、シラーの“Uber naive und sentimentalische Dichtung”
テキストは岩波文庫「ゲーテとトルストイ」トーマス・マン著 山崎章甫・高橋重臣訳 第4刷を使用 (拙劣ということ) 「見よ、なんという素晴らしい人間がこの世に生きていることだろうか」ゴーリキーがトルストイを見て発した叫びは「あらゆる伝記が世間のひとびとを動かしていわせようと求めている叫びであり、また普通実際にそういわせている」 その理由は「人間はどんな人間でも素晴らしいから」であり「精神と感受性とをもってすれば、どんな人間の生活でも、興味ある愛すべきものにすること