【終末の日】
こんにちは、暑さに何故か慣れてきたわたしです。
去年までは死んでいた気が。
今日の題は日本の「察する」という文化が終末の日を迎えている事を
表してみました。
わたしの両親は「察する」のが得意としていました。
が、今それでお互いが不満を抱えていて、アンジャッシュのネタみたいに
すれ違いが発生しています。
何故そうなったのか。
話し合いをしていなかったからです。十分に。
そして普通は逆かも知れませんが、父親の方が言語脳(語彙力)が高く
母親が負けてしまいます。
わたしは思うのです。
男尊女卑とかではなく、女はオリンピック選手にでも成らない限り
女は139449407074027%弱い立場です。
男には勝てません。なのに父親は声を荒げる事ではないのですが
冷たくそして機嫌を悪くして突っぱねます。
また母親は言葉を知りません。
両親はもう50代なのです。
老いるしかない。でも今が一番若いのです。
だから今変わってほしいと娘のわたしは切に願っています。
でもうちの家じゃなくても色々な人が抱えている問題だと思います。
例えば学校や職場でも。
居心地の悪い空間は誰かが我慢し誰かが甘えて粋がってて、
その反比例で苦しくなっているのだろうと思います。
ではどうして耐えるのか?
めんどくさいからです。
でもそれってどうでしょうか?
我々は(明治時代くらい以降の話だと思ってください)多分生まれなくても良かった存在です。
勝手に親が産み落としただけの人間がわたしたちです。
だから楽しんで生きるしか他ないのです。
嫌な事があったら言うのです。
厭味ったらしくじゃなくストレートに、後腐れが生まれないよう。
先ほど母の例で挙げた言葉を知って伝えるしかないのです。
我々が耐えて良い苦労は自分がしたいと思った事に対して発生した事のみです。
例えばプロサッカー選手に成りたい人が、試合で良い結果が生まれない、他のプレイヤーとの関係性が悪い。
それには耐えて、立ち向かって、そしてその苦労を獲得した方が今後の役に立つと思います。
でも、とりあえず働かなきゃ、とりあえず学ぶために学校行かなきゃ・・・で出てしまった苦労や悲しみや怒りや嫌な事を耐え忍ぶ必要性ってどこにあるのでしょうか?
辞めたくはないのならめんどくさいと感じるのではなく言ってやった方が良いと思います。
こうでこうだから嫌だとか。むかつくとか。
だって我慢は病気の元ですから。
察するなんて無理だ。
お互い話し合ってから、あぁこのシチュエーションはこの人嫌うな。
と分かるのが真の察するだ。
でもそれも忘れる人も居る。
実体験でわたしはこれが嫌だと言ったのにも関わらずやってきた人が居た。
人はそういうモノだろう。ブロックした。
つまりは100%は話し合っても察する事は出来ないのに、
話し合ってないのにも関わらず察するなんて無理不可能だと言う事が分かった。
またもしかしたら人が激昂する時は伝えている人が原因かもしれない。
伝え方が問題なのかもしれない。
言葉を知って、言葉の伝え方を知って、実践して。
日本の耐える人生を終末してほしい。
じゃないとパンクすると思う。
もう苦しい事しかないと思う。
コロナで人と会えなかったり元々同居していた人ならその人との距離感が近すぎてイライラしてしまったり。
だからもう、ちゃんと話そう。
話し合ってどちらかがないがしろにされないしないように優しい関係性を築けたらいいですよね。
終末の日。早く来るかな。見ものですね。