【優しく生きる究極な理由】
「え?弟と一緒じゃん。」
9歳のわたしがそう思ったのは、2003年に放映されていた外国の変な人を紹介する番組をたまたま観た時に思った事です。
その内容は心がしんどくてもう立ち直れなくて、赤ちゃんとして排泄もおむつで、身の回りの世話も他人にやってもらっている男性を放送されていました。確かアメリカだったと思いますが、生活保護を貰って生きています。
(ソースが見つからないんですが見つけたら書きます)
わたしには衝撃的でした。
アブノーマルな性癖趣味。というわけではなく、大人がそういう事を普通にしている心理状況が理解出来なかったからです。
だって当時3歳の弟はおむつを卒業し、何なら補助輪無しで自転車に乗れる程、彼は成長していたから。
そしてその日からわたしは狂ったように、当時9歳のわたしではあるのですが、わたしの家ではインターネットを使う事を許可されていたので、難なく調べました。
アメリカにはたくさんそういう人が居ました。
またまた衝撃的でした。
日本語で調べてみました。
居ました。めちゃくちゃ。
それで当時チャットの機能が主流だったので色々と聞いてみました。
大人って「大変で優しくない人がたくさん居る」って。
びっくりしました。
大人って精神的にも自律して生きているものだと9歳のわたしは本気で思っていたから。
そこから人は「優しくされる喜び」を持っているんだと思った。
優しく「する」喜び。では無くです。
だからわたしは人に優しく生きようと思った。
わたしは優しく「する」喜びを受けようと思ったから。
そして「三和エロティカ」というAVサイトに行きつきました。
昔は冒頭のアブノーマルな趣味のカテゴライズに入っていたが、これのジャンルは最近は人気の作品たちになっています。
Twitterではその界隈の人たち(日本人、韓国人、中国人、アジア人や欧米人と多種多様です)が自分の可愛い所をアピールしています。
世間はしんどいんだ。優しくされたいんだ。
そして昔の育児方法は【心】を育てない。体を育てるのが育児。
だから自己肯定感や良い塩梅の自己愛や、何か嫌な事が起こった際の自分なりの改善方法も知らない。
そこは教育していないから。
だからしんどくなった時に甘え方も分からない。
それが爆発したのが、「エイジプレイ(Age Play)」=「赤ちゃんプレイ」となると定義付けされると思う。
極端に甘えないと死んじゃうから。寂しいんだ。
そんな中で自分が他人を優しくは出来ない。
何故なら他人にGiveするエネルギーが無いから。
わたしもエネルギーは無い。
でも9歳の時の自分がそうしたいと思った事。
「人に優しくする」事は、26歳の今でもしたいし、現在進行形で出来る様に色々と考え行動しています。
大人の赤ちゃんって可愛いよ。
でもロンパースとかおむつとかしなくても、大人なのに拗ねたり歪な愛情を求める行動って可愛いし尊いと思うよ。
こうやればいいのに、そういうのが出来ないから今謎に怒ったんだね。となれるから。
不器用な大人って本当に可愛いくて癒しです。
わたしは、みんなの見せたくないドロドロな恥ずかしい、でも美しい感情を受け入れられる人になりたいと思ってもう17年経ちました。
わたしはある意味そういう性癖の感情のゴミ箱でも良いんです。(女のみ)
わたしより君が年上でもママやお姉ちゃんになるし受け入れる。
優しく彼女らに接して、彼女たちが色々な事に興じて楽しい人生を送る事が出来るようになればわたしも嬉しいです。
他人がどう思うかはわからない、だから良いんです。
コロナ禍の現在。
わたしの中で彼女たちがニコニコで生活出来る様に努力をして生きていきます。
それがわたしの使命かなと。(勝手にだけど)