津波被災地で学んだこと〜石巻編〜
東淀川防災アシストの藤田翔乃です。
3/7~11にかけて、被災地の訪問・学会参加のために個人的に宮城と岩手に行ってきました。そこで学んだこと、新たな発見をこの場でお話ししたいと思います。トピックごとに箇条書きで書きます。
まず、飛行機で神戸空港→仙台空港、電車で仙台空港→仙台駅、バスで仙台駅→石巻駅というルートで石巻市に行きました。その中でも石巻市沿岸部の大きな公園の中にある、みやぎ東日本大震災津波伝承館を訪れました。
【学び1】前提知識
石巻市は東日本大震災で最も多くの死者・行方不明者が発生した市町村であり、その数は3975名になります。2010年の石巻市の総人口と比べると、市の2.47%の方が亡くなったことになります。津波浸水面積は73km2であり、市内の13.2%、平野部の約30%にあたります。石巻市の津波浸水域は、”リアス式海岸に当たる東側沿岸部”と”石巻市駅がある市街地の平野沿岸部”の二つに分かれます。特に後者の被害は甚大で、約5km2(東淀川区の半分くらい)の領域に5m以上の津波が発生し、木造建物を中心にほとんどの建物が流出しました。感覚的には4,5個の学区が完全に壊滅したような規模感です。今回訪れた伝承館は後者の平野沿岸部に位置しています。
【学び2】なぜ石巻(市街地の平野沿岸部)は被害が大きかったか
東北地方太平洋沿岸では、過去幾度も大きな津波が発生していました。特に三陸海岸はリアス式海岸という入り組んだ地形をしており、津波により大きな被害を受けていました。その理由として、
①日本海溝の真正面に位置しており津波がダイレクトに来る
②リアス式海岸の湾の奥地は左右から津波が合流し大きな流量となる
③リアス式海岸の岬部は津波の屈折により津波が集中する
③リアス式海岸の地形により、対岸などで波が反射し合い波高が増す
ことが挙げられます。
過去の経験から、三陸海岸に住む住民の津波意識は比較的高かったことが考えられます。一方で、石巻などの平野沿岸部の住民は過去数百年の地震でも津波を経験しておらず、津波への意識は低かったと言われています。「津波が来ても牡鹿半島でここは守られる」という認識があったほどです。
これを裏付けるものとして、三陸リアス式海岸(牡鹿半島以北)と平野部(石巻市平野部以南)に分けて分析を行ったものがあります。平均死亡率はリアス地域では3.9%、平野部では2.5%であったのに対して、同じ浸水深さで比べると大半の死亡率が逆転していました。例えば浸水深が4.5~5メートルの地域の死亡率はリアス地域で2.5%、平野部で8.5%、と3倍以上の差が開いていました。石巻などの平野部の住民は津波避難の意識が比較的低く、行政も同様であったため、避難のための高い建物が少なったことが被害を甚大化させたと言われています。
【学び3】現在の津波復興祈念公園の効果とは
津波被害が甚大であった石巻駅南の平野沿岸部は大きな公園になっており、そこに伝承館があります。震災後、国がそこの土地を買い取り公園を作りました。元々そこに住んでいた人たちは、土地を売ることで生活再建の資金を得たと聞きました。この公園は「津波に脆弱なこの地域に将来人が住まない」ようにするという効果があることを学びました。
実は岩手・宮城の津波襲来地は過去の津波で高台移転をし、人の住む場所を変更させていたのですが、海に近い方が漁業がしやすいなどの理由から、いくつかの高台移転は失敗していました。
この話を聞いて、うろ覚えですがある研究発表を思い出しました。それは防災対策には3つの方法があるということです。今回の、公園建設により住む場所を限定することはレベル3の防災対策に当たります。
また、災害という現象は3つの要因が重なることで生じるという考えがあります。Hazard(危険)、Exposure(人的・物的露出)、Vulnerability(脆弱性)の3つです。Hazardは地震・大雨・土砂崩れなど自然現象であるため、人間がコントロールすることはできません(気候変動は例外)。現在の多くの防災対策は、Vulnerabilityを減らすことであり表のレベル1,2に当たります。表のレベル3の住む場所の変更は、ExposureをHazardから離すことであると言えます。
津波という滅多に起こらない大災害に対して、今後このような複合的な防災対策が必要であると考えられます。