【小説】死生活と石 #1
あれを、集団下校の中で見つけた。
俺はそれを、『クロ』と呼んだ。こんなにも幼い『クロ』を、俺は久し振りに見かけた。
俺はすぐに、ゆっくりと『クロ』の跡をつけた。『クロ』が一人になるのを待つためだ。一刻も早く接触を試みたいが、内容が内容だけに憚られる。
ただ今が、下校で良かった。これが登校の方だと一人になるのは待てない。ツイていた。
十分ほど追いかけただろうか、『クロ』は一人になった。
辺りは一軒家が建ち並び、子供に話し掛けるには、人の目がかなり気になるところではあるが、そんなことは気にしていられない。少し地面を蹴って少年に追いつき、背中越しに声を掛けた。
「なあお前、明日どこかへ行くのか?」
色々言葉を探して、たどり着いた答えがこれだった。
「……え?」
どこの誰だか、顔も知らない大人から話し掛けられた少年の髪には、もう夕方だというのに寝ぐせが作られていた。
見た目は小学校二年生ぐらいだろうか、未婚の、ましてや子供の居ない自分の目測に自信は持てない。
「だから、明日はどこかへ行くのかと聞いているんだ」
強く言っているつもりはなかったのだが、少年の表情からそう読み取れた。
今のご時世、面識の無い子供と大人が会話をしているところは、第三者に誤解を生みやすい。だから、単刀直入に会話を終わらせたい。その逸る気持ちが、外に溢れ出たのかもしれない。
「悪い……、俺の聞き方が悪かった。俺は決して怪しい者なんかじゃないんだ。ただ君が、明日どこかへ行くのかどうかを知りたいだけなんだ」
自分が声に出している言葉の意味を考えて、余計に自分が怪しい人物に思えてくる。もっと良い聞き方があったに違いない。だが遠回りな会話をしている場合でもない。そうこうしている間に、俺に対する通報の電話が、警察に掛かるかもしれない。そのことを考えると、要件だけを伝えるしかなかった。
「えっと、えっと……」
そう言いながら後退りする少年の表情は、恐怖と困惑が入り混じっていた。
完全に失敗したことは明白だった。もう何を言っても少年が俺に心を開くことは無いだろう。この瞬間に思いつく、俺の取れる手段は一つしかなかった。
彼の腕を掴み取るために、手を伸ばそうとした時、「パァ! パパァ!!」と、背中で車のクラクションが鳴った。その時になって初めて俺が、道のど真ん中で少年に声を掛けていたことに気付いた。
大きな音に驚いた俺は振り返ると、黒のセダンに乗る、年配の女と目が合った。いや、実際には目は合っていない。なぜならその女は、夏でもないというのにサングラスをしていたからだ。その見えている部分の表情からも、俺を鬱陶しく思っているのが分かった。それから俺が道の脇に寄ると、セダンは急発進で行ってしまった。
それは、ほんの数秒程度の出来事だった。それでも子供が、大人から逃げ切る時間としては申し分ないものだった。つまり、『クロ』は逃げ出していた。
すぐ追いかければ捕まえられたのかもしれない。でも俺は追いかけなかった。いや、できなかった。
夕日の方向に走っていく『クロ』を、俺は細めた目で見送った。見つめながらずっと、『クロ』の無事を祈り続けた。