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7/6東吉野村天誅組さきがけの道ウォーキング

2024年7月6日(土)東吉野村主催の天誅組さきがけの道ウォーキングが開催されました。
今回かなり多数の申し込みがあり、急遽3グループ時間差でのスタートとなりました。
それでも参加したいとのお声が多く、最終的には参加をお断りという状況だったそうです。

私は第一グループ、天誅組顕彰会会長桝本君孝さんのご案内でした。

まず、スタート地点の東吉野村役場は彦根藩本陣跡です。

そこから少し歩くと今の出合橋より少し手前に昔は橋があり(現出合橋は後に作られたもの)、そこを渡ったところに西田仁兵衛、天保高殿の戦死地の碑があるという説明をお伺いしました。

川向かいに2人の志士の碑があります


こちらの2人のお墓もありますが、謎多き2人です。
山口さんの著書をぜひ読んでみてください。

そこから明治谷墓地少し手前には、旧の川への道の名残りがあります。
そこに橋があり、その橋を渡って決死隊が出店坂へと向かったそうです。
看板もあります。

そして明治谷(みよじだに)墓地へ。


吉村虎太郎、那須信吾、宍戸弥四郎、鍋島米之助、林豹吉郎、植村定七、山下佐吉、天保高殿、西田仁兵衛の墓石があります。

昔は宝泉寺から続く道があったそう。
今の階段の道はお墓が整備された時、新しく作られたものです。

そして戻って宝泉寺へ。
こちらは天誅組志士と彦根藩士の菩提寺で、毎年11/5に法要が行われています。

お寺の裏側に彦根藩士のお墓があります。
今回外からの見学のみでしたが、天誅組の志士達の位牌などがあります。
法要で名前が読み上げられる時は感動なので、ぜひお越しください。

そして小学校横には植村定七戦死地の碑が。


この向こうが出店坂で、決死隊が駆け下りて鷲家口で激闘を繰り広げました。

いかりやは彦根藩の脇本陣。
那須信吾はこちらから少し進んだ南呉服店の前で敵を倒し、いかりやまで戻った時に最期を遂げました。

熱く語る桝本会長

宍戸弥四郎は激闘中に川へ転落し、よじ登ろうとした時に銃弾に倒れました。
宍戸弥四郎は懐に埋葬費として金十両をしたためていたそうで、敵方の彦根藩藩士はえらく感動したそうです。
今の場所より少し先の岩場に碑があったそうですが伊勢湾台風で流され、今の場所に移されたそうです。

鷲家口のこのあたりの方々は天誅組にかなりご熱心で、各家が担当の碑の花を変えたり、皆で集まって掃除や植木の手入れなどを長年されています。
鷲家口在住の桝本会長は特別な思い入れがあるのではと感じました。

その少し先には林豹吉郎戦死地の碑が。
こちらは宇陀の方で、鉄砲の名手だったそうです。
今回同じグループに宇陀の方がいらっしゃり、感銘を受けておられました。
宇陀市にも林豹吉郎に関するものが残っているそうなので、近くですし、また行ってみたいと思います。

そこからバスに乗り、少し進んだら鍋島米之助戦死地の碑が。
また、そのすぐ脇の道には山に向かう道があり、そこへ逃げた志士にも敵の追手が来ました。

そして吉村虎太郎原えい処。

橋を渡ると何ともいえない荘厳な空気が漂っています。
吉村虎太郎は木津川の堂本家で2泊休ませてもらった後、山道を行きこちらの方まで来ました。

藤堂藩に見つかり、この岩の少し向こう側のあたりで切腹を願い出たが許されず銃弾に合い「残念」と言いながら倒れたそうです。
その後「残念さん」と言われ、お参りすると傷が治るご利益があるとのことで、参拝者が絶えなかったそうです。
そして明治谷墓地に遺骨が移されたので、こちらは原えい処とされました。
原えいとはもともとお墓だったという意味です。

そしてしばらくウォーキング。
レストランあしびき横の空き地には藤堂藩本陣に使われた油屋がありましたが、数年前に取り壊され、今は空き地となっています。

その先の三叉路の細い道を行くとある郵便局は元紀州藩の本陣。


隣には紀州藩脇本陣の日裏屋という旅館が。
こちらには藤本鉄石と従者の福浦元吉がたった2人で突入し、壮絶な最期を遂げました。
2人なのに紀州藩は大混乱し、お殿様は逃げたそうです。
その碑があります。

日裏屋は昭和になってから菟田野に移築され、最近取り壊されました。
日裏屋の看板と銃弾が残った梁が東吉野村へ寄贈されました。
藤本鉄石がその戦いで使った槍も以前いただいたそうで、今は関西大学で保管されているとのことです。
草莽庵には古道具と、日裏屋で実際に使われていた建具を移築先より寄贈いただきました。
まさかのウォーキング中に日裏屋ご子孫とお会いでき、感動しました!
子どもの頃にはまだ日裏屋があったと記憶されているそうです。

こちらの裏手方向に少し行くと、森下幾馬戦死地の碑が。

こちらは初めて知ったので、まだまだ勉強が足りないなと痛感しました。
山道を一度歩かねば。

最後は湯ノ谷墓地へ。

藤本鉄石、従者の福浦元吉、松本奎堂、従者の村上萬吉、森下幾馬が埋葬されています。
横には東吉野村で私財を投じて天誅組の本の出版などに生涯を捧げた梶谷信平ご夫妻のお墓が。
信平さんのお父さんも墓地などの整備に私財と生涯を捧げました。

東吉野村の人々は天誅組志士達の首を切られた遺体を埋葬し、墓や史跡を何度も整備し、今日へと繋がっています。
法要はその年から160年間ずっと行われてきました。

天誅組顕彰活動や、史跡案内、史跡整備は関わる方の高齢化で断絶の危機にあります。
うちの父も書籍をいくか作り、かなり深く関わってきましたが、昨年大病を患い、第一線から退いています。

父の死を感じ、今のうちに聞けることを聞き、やれることをやらねばと昨年秋に私は決意しました。

ご高齢ながらも天誅組のことを深く愛し、関わってくださっている方々が東吉野村にいらっしゃいます。
その次の世代となると情報がかなり薄くなるので、今の世代からの聞き取りをできる限りしたいと思っています。

草莽庵にも、実は子孫だけど情報が分からなくて…という他地域の方が多く訪れてくださっています。

父がしてきたように、人と人を繋ぐ活動もしていきたいです。

草莽庵は出会いの場所です。
父もまだ元気ですので、ぜひお越しください。

今回、東吉野村役場の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
かなり詳しい資料も作っていただき、勉強になります。
めちゃくちゃいいです!!

役場で現在熱心にされている方も次世代へと繋いでいかなければいけないので、若い世代がもっと熱を持てるよう、何かできればと思います。

今回本当に素晴らしいウォーキングでした。
ありがとうございました。

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