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当たり前がしんどい時に読みたい『義父母の介護』

Webライターラボの10月コラム企画に参加しています。

母が緊急入院した。元々持っていた胆石がいよいよ悪さを始めて痛みが強くなったようだ。最初は3、4日の入院だろうと言われていたけれど、意外と長引いた。

母は父と二人暮らしで家事全般を母がしていたため、一人になった父の生活はたちまち乱れた。

テーブルの上には父が買ってきた食べきれない量の食べ物が広がっている。同じ餃子やそばを何日も続けて買ってくる。まだむし暑い時だったけれど、食べ物を冷蔵庫に入れていない。

流し台には汚れたコップが何個もある。洗わなくてもいい弁当のからや割り箸を洗っている。ゴミは出し方が分からないのでたまっている。新聞もあっという間に重なる。トイレも汚れる。プランターの花はすっかり枯れてしまった。

誰かのサポートが必要なのは明らかだが、父は「別に困ることはない、まぁまぁうまくやってるよ」と母に言ったらしい。冗談じゃないよ〜思うが、これが父にとっては「うまくやっている」状態なのかもしれない。

さりとて、父の洗濯物と母の入院先まで取りに行った洗濯物が増えて、我が家で洗う量が2倍になった。急に量が増えたので、干すのが地味にしんどい。まだ実家と病院が私の家から近いので良かったけども。遠かったら大変だ。

入院している母に「ずっと一日2家族分の洗濯物を干したり掃除したりしてる感じがする、疲れたわ」と愚痴をこぼすと、翌日には母から「先生にとにかく早く家に帰らせてくださいと頼んだからあともうちょっとお願い」とラインで送られてきた。ずっと洗濯物干しているなんて嘘だ、30分ぐらいのことだ。言い過ぎた。ごめんなさい。

介護サービスを父が受けるのも急には難しく、サポートができるのは近くに住んでいる私ぐらい。いつまで続くんだろう。私は介護福祉の現場で長年働いたので、介護のリアルは知っているはず。なのに自分ごとになると分からなくなる。

翻訳家・エッセイストの村井理子さん著「義父母の介護」は、村井さんの義母の様子がおかしくなるところから始まる。しっかりものの義母にとっては考えられない発言や行動が少しずつあらわれる。そして義父も呼応するように乱れていく。かつ、義父母の症状の進行具合は早い。

義父母にまつわる日常から事件まで。嫁の村井さんの立場から観察して思ったことがリアルに描かれている。

あまり良好とはいえない義父母との関係がありながらも、仕事と家事と介護の渦中に村井さんは入る。介護に奔走しながら、時々毒を吐く。この毒が面白い。特に義父は性格が暗くて重くて心配性な方で、例えば義母さんのサポートをする訪問サービスの男性に嫉妬する。村井さんは、「なんだそれ、キモっ」と言う。ここは本当に笑えた。本の中では何度もこういう笑えるところが出てくる。

思えば、父母の分まで洗濯や家の掃除をしている時は、しんどいなぁ、誰もでもする人おらんしなとため息はつけども、笑えたことはなかったな。なぜだろう。

村井さんは、こう書いている。

これは介護に限った話ではない 。私の時間は私のものでかけがえのないものだから 、それが誰かによって消費されて納得できないのなら意義を唱えていいはずだ。少しは配慮してよと言ってもバチは当たらない。
嫁だから介護に参加して当たり前 、母親だから育児をして当たり前、 家族のために自分を犠牲にして当たり前 、そんな当たり前を潰していきたい。

『義父母の介護』より

できれば親に元気でいてほしい、自分も元気でいたいものだが、いつどうなるか分からない。私にできることはするが、できないこともある。仕事もあるし、余暇の時間も欲しい。それは母にとっても同じことだ。妻だからとはいえできないことがあるだろう。父や私の息子でもそうだ。

たとえ、息子、娘としても、親としても介護や育児は当たり前ではないと思う。しかし現状は「当たり前」に頼りがちになっていると想像する。当たり前をどうにかできないか、私もこれから考えていきたい。

母は無事に退院した。次は1週間の計画入院が待っている。今度はもう少し、笑いも交えて立ち回れるかなどうかな。いや、立ち回らなくてもいいな、ちょっとは気持ちに余裕を持っていけたらいいな。

村井さんは、義父母の介護にあたり好奇心からつぶさに観察して記録を始めたようだ。私もいろんなことを考え書き記しておこう。いつか誰かがほっとしてくれるかもしれないし、自分の思う当たり前を潰すことができるかもしれない。

Discord名:ひがし
#Webライターラボ2410コラム企画




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