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滴ってこないトリクルダウンかな
東京新聞 川柳に選ばれました。
2025年 3月1日付です。
まず注意事項
「滴ってこないトリクルダウンかな」は、創作です。僕の政治的立場は複雑なので、これだけで判断しないでください。
天皇制の維持に賛成だったり、あるイデオロギーに反対だったりします。保守とリベラル、右翼と左翼、という分類も、もはや古いです。
(「あるイデオロギー」に反対すると出版界で言論弾圧の憂き目に遭います。臆病な僕は書けません。出版界にいないのに。それは「名前を呼んではいけないあの人」のようなものです)
桑原武夫の第二芸術論へ対する擁護に、川柳も含めるべきだと考えています。川柳はフィクション性を持つ、立派な文学芸術です。
初投稿でびっくり
そのとき川柳の勢いがあり、作ったものを送りたいと思いました。
筆名で送ることのできる、二つの場所へ投稿しました。
「せっかく作ったから送りたい。眠らせておくのはもったいない」くらいの感覚です。
まさか選ばれるとは思いませんでした。
ありがとうございます。
初めての投稿でした。幸運に感謝します。
図書カード五百円、大事に使います。
薄謝だなんてとんでもないです。
本に使う五百円はとても大きい。
俳句と川柳の違い
普段は主に俳句を作っています。(送った数に対する採用率は、川柳の方が高そうです。俳句でも、もっと選ばれたい……)
俳句と川柳の違いは、季語の有無だと言う人がいます。
本当にそうでしょうか。
根本的な違いがあります。
俳句は肯定する
俳句は季語を肯定します。花鳥諷詠の精神が、今も根強く残っているのでしょう。
ラムネ痛しけふも朝より何もなし
「ラムネ」が「痛い」といった表現は、俳人の俳句に見られません。文人俳句特有です。
第61回現代俳句全国大会 の 朝日新聞社賞
戦争に視聴率ありソーダ水
この俳句は鋭く現代を穿ちます。
句意を解釈すると、「ソーダ水を飲みながら、楽しく戦争を試聴している」です。
ソーダ水と戦争に落差があります。
落差が俳句を際立たせます。
ここでも「ソーダ水」そのものは肯定的に描写されています。楽しいソーダ水と、現代の戦争を取り合わせたところに、凄みがあるのです。
川柳は風刺する
川柳の、最も俳句と異なる部分は、対象を否定していいことです。
掃除する人を木の葉が呼びかへし
俳句における落葉(木の葉)は、冬の季語として肯定的に読まれます。
踏んだり降ったりして楽しげです。
川柳では、掃除を長引かせる悪者です。
「木の葉」を否定してもよい。
その自由さが川柳です。
花鳥諷詠ではなく社会諷詠。
人間の社会を自然として写生する文学が、川柳なのかもしれません。
もしかしたら俳句より不遇な詩型
図書館の蔵書を見れば(特にその地域で)何が人気なのか、よくわかります。
僕の最寄りの図書館で、短詩型だと、短歌が最多です。
次に俳句、川柳と続きます。川柳より詩の本の方が多いです。
一冊の本になりにくいだけ、かもしれません。
標語やスローガンは川柳に似ています。より、生活に溶け込んでいるのは川柳なのでしょう。
川柳の多彩な口語表現
川柳出身の人の表現は多彩な気がします。
口語表現が特に豊かです。
俳句は文語の歴史が長いのです。
口語俳句の歴史は浅いです。
似た詩型で言えば川柳や短歌の方が、口語表現に長けています。
川柳出身者の俳句は、とても読みやすいです。
口語表現の下地があるからでしょう。
今回の反省
「惰性で俳句を投句していないだろうか」と、ふと感じました。
今回の川柳は内部から溢れ出てくるものがあって、それを表現したものでした。
「毎月やっているから今月も送ろう」と、半ば義務的に、事務作業のように投句しているのではないか。
本当に体重の乗った俳句を送ることが、できているだろうか。
自省しました。
あるいは、本当に言葉で遊んで、楽しんで作ることができているだろうか、と。
俳句も川柳も
今回の掲載は、俳句のおかげです。
五七五という定型に馴染み、そこで俳句を作ってきた経験が、間違いなく活きています。
川柳→俳句もできるはずです。
川柳の諧謔と韻律は、大きな武器になります。
川柳と俳句を行ったり来たりしながら(できればそこに短歌も混ぜながら)楽しんでいきたいと思います。