宗教雑感
「救い」を説かない宗教はないだろう。私にとって宗教というものは「自分が救われる」ということを、どれだけ主観的に捉えられているかだと思う。それ以外に宗教はない。
真宗に於いては、浄土往生を、還相回向を、どれだけ客観的に捉えたとて、いかに理路整然と誰かに説明できたとて、そこに「自分が救われる」世界の内実が主観的に、且つ生き生きと語られなければ、いったいそれに何の意味があると言うのだろうか。
「救い」を説かない宗教はないだろう。私にとって宗教というものは「自分が救われる」ということを、どれだけ主観的に捉えられているかだと思う。それ以外に宗教はない。
真宗に於いては、浄土往生を、還相回向を、どれだけ客観的に捉えたとて、いかに理路整然と誰かに説明できたとて、そこに「自分が救われる」世界の内実が主観的に、且つ生き生きと語られなければ、いったいそれに何の意味があると言うのだろうか。