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北海道東神楽町の公営花屋問題について〜その4〜

続きです。
拙い文章ですが、なんとなく概要をお伝えしてきました。

どんなに公費を費やそうが、どんな犠牲が伴おうが、どのような人間が儲けようが、そこに明確なビジョンと計画と実行責任があれば良い訳で…
何より問題なのは、それらを明確に説明できないこと、説明できる根拠すらないことにあると思います。

で、説明できないので行き当たりばったりでテキトーなコト言ってみたり、果ては「知らん顔」しつつの時間稼ぎ。
オープンイベントでのテープカットと祝賀会がゴール。
来賓は誰を呼ぼうかな〜、アレコレ自慢してやるぞ〜、くらいしか考えていないように思われるのです。

「なんか知らんけど、だいぶ予算オーバーしちゃったー!」

「仕方ないっしょ!
予算追加でお願いしまーす!」

「なんか五月蝿いヤツが面倒臭いコト言ってるけどシカトでオッケー!」

「無事かんせー!
おめでたいテープカットも終了!」

「あっちこっちから呼び寄せた来賓の皆様には「素晴らしい施設」とのお言葉をいただきました!」

「えっへん!」

ここまでが多分思い描いたシナリオなんでしょう。
で、ココからはフィクションです。

「大変だぁー!
維持管理に結構な金額がかかっちゃいますよぉー!」

「何ぃ〜? なんか他の住民サービス削れば良かんべぇー!」

「あれれ?
あっちこっち町中年寄りだらけになっちゃってるぞぉー!」

「あれれ?
あっちこっちの施設も老朽化しちゃってるぞぉー!」

「オーマイガァッー!
金蔓の若いモンが随分減っちゃってるぞぉー!」

「とりあえずぅ、金はたんまり貯め込んだしー、年金もそこそこ貰えるしー、逃げちゃおっ〜!」

めでたしめでたし!


「50年後を見据えた」て言うこの事業ですが…
小学生でも「未来の町の姿」ってお題でお絵描きできますね。

今現在のお年寄り、あとチョットでお年寄り(私はココかな)って人達は、何となく余裕があったりするんでしょう。
その後にめでたくお年寄りになっちゃう世代はどうなんでしょうか?
年金の支給は伸びちゃうし、貰える分も減っちゃうし。でも、何とか老後を満喫できそう。
「デッカいお花畑」で年に数回、ふらっと立ち寄り何となくのんびり。
なんなら暇だし、気が向いたら草むしりのボランティアくらいしても良いかなー。知らんけどー。
ついでに、お家に飾るお花も安くしなさい!
私達は苦労してきたんだから、チョットくらいお金かけても良いしょや!

では、更にその後の世代はコレ如何に?

医療や介護や年金などの社会保障費の負担は重くなる一方、昔は無かった消費税なんてのも払わなきゃならないし、賃金爆上がりに郵貯に預けておけば資産倍増なんて時代でもなく、老後の蓄えも儘ならずってな。

たった30年後の2054年、人口の25%が75歳以上になるんですって!
田舎は多分、もっと大きな割合になるんじゃない?

つまりぃー、多分ですよっ!
今のランドセル背負ってキャッキャしてる小学生がバリバリ働く4〜50歳になった頃にゃ、町には、私を含めた大勢の御記憶が乏しくなったお年寄りがゾンビのようにウロウロ徘徊するなんてことも…
収容施設をつくるのも彼らの負担じゃあ、とても面倒見切れませんがなって。

じゃあ、その小学生が6〜70歳になる、2073年の例の「50年後」は?
大概のジジイとババアは死んでしまってます。私も当然ですがね。
で、悠々自適な老後を過ごしたとさ、めでたしめでたし…

???

「50年後を見据えた」とはこういうコトなんでしょうか?

「う○こ!ち○こ!」と叫びながら走り回ってる彼らは、圧倒的多数の年寄りの面倒を見続けて生涯働きます。
当然、その年寄りが年に数回ふらっと立ち寄るデッカいお花畑に赤字上等の公営花屋の維持管理費用も負担しながら…

若いモンは減り年寄りは増える。
全体的にも人は減る。
で、負担は爆増。
勝馬の予想は出来ないおバカなオッさんでも大体予想できます。

今の理由なきクソ贅沢は確実に後の負担になる。
もう既に余計なクソ贅沢する段階ではないと思う。
今、物言える世代には、限りある銭は堅実に使わなきゃならない責任と義務があるんではないのかな〜?
とつくづく思う、秋も深まる今日この頃なんデスヨッ!

気が向いたら続きます…

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