変えられない状況の中で変えられるものは「思考」
明日という日を心待ちにできる人は幸せな人です。
行きたい場所があったり、楽しみな計画があったり、自分が必要とされていることや幸福だと感じることがあるおかげで、人は生きていてよかったと思えるのでしょう。
僕は「障害があってもなくても、人は努力しなければいけないし、努力の結果幸せになれることがわかった」と以前書いたことがあります。
障害があれば、普通の人がしないような苦労をしなければいけないのは事実だと思います。
障害があるせいで生きづらさを感じたことのある障害者は多いです。問題は、それを不幸な出来事だと捉えるかどうかではないでしょうか。
不幸の捉え方には、2種類あるような気がします。
ひとつは、自分が自分のことを不幸だと思うこと。障害がなければ、こんな苦しい思いや悲しい思いはしなかったのに、自分はなんてかわいそうな人間なのだと決めつけてしまうことです。
もうひとつは、他人が自分のことを不幸だと思うことです。障害があるなんて気の毒だ。とてもかわいそうな人だと決めつけられてしまうことです。
このふたつは、誰がそう考えるのかという点において違います。
不幸だと思うのは、自分なのか他人なのかどちらでしょう。
僕は、自分が自分のことを不幸だと思ってしまう場合の方が、より辛いのではないかと考えています。なぜなら、どんな人も自分からは逃げられないからです。
逃げられないというのは、状況が変えられないということです。
変えられない状況の中で変えられるものは「思考」です。
自分を取り巻く状況が何一つ変化しなくても、思考を変えられれば、気持ちはずいぶん楽になります。
起きた出来事に対して、どのように感じるか。
感じ方は感性なので変えることは難しいですが、感じたあと、それをどう受け取るのかによって、今の自分が幸せかどうか違ってきます。
こんな風に受け取れば、自分が楽になるという考え方があるのではないでしょうか。
僕は、辛いことが起きたとき、もう二度とこんなことはないだろうとは思いません。きっとまた、同じようなことが起きる。その時のために、自分の心を整えます。
これは一生に一度あるかないかのことだと思うことで、その状況を乗り切れる人もいるでしょう。けれど現在の僕は、これは次に何があっても大丈夫なように気持ちを整えるための練習だと思うようにしています。すると気が重くなり過ぎません。練習なのだから、うまくいかなくても大丈夫。そんな風に考えることで自分を甘やかしています。
完璧を目指さなければ、それなりに対応している自分にも満足します。
この満足感が幸福感につながります。
人が自分をどう思っても、自分が自分を肯定できれば、それでいいのです。
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