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青鈍の海の街へ

大人に変わったら 日本海に会いたくなる
青鈍の海の詩 聞こえる あの街へ 行きたい

谷村新司 「北陸ロマン」より

7月25日

7月の末、盛夏の富山へ向かうことになった。
富山に着いて、まず真っ先に地鉄のフリーパスを買い、昼前の立山行きに飛び乗った。

地鉄電車の車窓から

一路、立山線の千垣駅を目指す。著名な景勝地である千垣橋梁で撮影するためである。
1時間ほど走り続け、渓谷の中にある無人駅に降り立つ。この様にして千垣についたはいいが、どうにも雲行きが怪しい。ずっと雷がゴロゴロ言っているので、一本だけ撮って退却した。

雷鳥色が帰ってくると思いカメラを構えていた

地元のサッカークラブとのコラボ電車がきた。どうした事か。
山を登って行った電車は立山駅でそのまま折り返すのではなく、一旦予備として待機するらしい。失意を胸に、千垣駅へ戻った。


千垣駅。昭和初期の建築。

立山線は、終日一時間ヘッドでの運行なので、まるまる一時間下山する電車がない。
それ故に千垣駅で一時間潰すことを余儀なくされた。ちょうど千垣駅に戻ってきた頃に、立山行きの電車が入ってくる様なので、迎え打つ。

17480系。元東急8590系。

やってきたのは元東急車。大井町線で走っていた電車である。まさか城南を離れて、立山連峰への観光客を運ぶことになろうとは、8590も思わなかっただろう。


さて、暫しの待ち時間ののち、帰りの電車がやってきたので、次なる撮影地に向かうとする。

ホーロー板と垂木がまぶしい。

次に来たのが、同じく立山線の下段駅。
こちらもまた昭和初期に建てられた木造駅舎である。駅舎内には、地域の人々による飾り付けがなされ、地元に愛される駅であることを実感させられる。駅の周りには農村風景が広がっている。
暫くこの下段駅周辺で撮影する。
昔ながらの無人駅に、東急車輛製の無骨なステンレス車が発着する。絵になる一コマだ。

かなりよい


また、農村風景と絡めるのも面白い。

用水だ!

ビビットな色合いの「かぼちゃ電車」と用水看板を絡めて撮ってみる。山影もあいまって、なかなか良い絵なのではないか。
……などと考えていたところ、近隣の農家の方が、「折角神奈川から来たのだから」と、畑に招いてくださった。このような話は、ありがたい限りである。御招きの上、スタジオとして花の鉢まで出してくださった。本当に感謝しても仕切れない。

花をフレーム代わりにおさめてみた…つもり

その様な中、特急としてやってきたのは件の「かぼちゃ電車」である。向日葵の色とも合い、思い出に残る一枚を残すことができた。
さて、都合があるので名残惜しくも下段を後にする。ゲリラ豪雨に巻き込まれながらも、ロマンスシートの普通電車に乗り込む。
富山駅で同行者と合流し、寿司を食み、小杉の宿に投宿と相なった。

富山駅で食べた寿司

7月26日

8時に宿を立ち、雨晴海岸を目指すことになった。
小杉から北陸線に乗り、高岡で氷見線に乗り換える。

413系、まだ走ってたのか…

乗り換えた氷見線の列車は、単行のキハ40である。20分ほどボックスシートに揺られ、雨晴駅に着く。
徒歩5分ほどの、ところにある道の駅が撮影地らしいので、観光も兼ねて行ってみる。
氷見行きの列車がやってきた。遥か新湊大橋を背景に撮ってみる…が、逆光も相まって露光の具合の調整が難しい。下記の写真はレタッチでなんとか見れるようになったものである。

悔し〜

二兎を追うものは一兎も得ず、そんな言葉が脳裏に過ぎる。逆光で面潰れになることは承知していたが、この時点でかなりやる気をなくし、早々に雨晴を後にした。


古い街並みが残っているというので、高岡での乗り換えのついでに、少しばかり覗いてみることにした。
高岡は近世からの商工業都市であり、1900年の高岡大火を機に防火建築が多く建てられるようになったそうだ。蔵造りの建築が今日まで残る。

山町筋の街並み

さて、高岡といって忘れてはならないのが万葉線の存在である。時間がないので、さっさと撮るが、なんとか一本だけ旧型車を撮ることができた。コカコーララッピング車であった。コーラのラッピングなんだから全面赤色に塗って欲しい。

コカ・コーララッピング車

とにかく同行者に急かされていたので、足早に高岡を去る。
北陸線に乗り、富山でお土産を調達し、新幹線で帰路に着いた。

これは東北新幹線。

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