学校の授業がつまらない原因は学生側にある?
学校の授業の大半は、はっきり言って面白くない。それは僕が身を置いている環境から起因するものであるかもしれなくて、環境が異なれば、面白いな。と思う授業もあるかもしれない。
しかし、なぜ僕の受けている授業は面白くないのか?
面白くない原因は教壇でただ教科書を読み上げるだけの教師にあるのか?
先に結論を言ってしまえば、授業がつまらないと感じる原因は学生側が引き起こし、教師が面白くなさを加速させているのではないかと思う。
「面白い」授業とは?
「面白い」の価値判断は人それぞれがすぎるので、僕の考えと割と一般論的な視点から考えてみようと思う。
まず第一に、学問における「面白さ」とは知的好奇心をくすぐることだと思う。例えば、国語であれば教科書に載っている「坊ちゃん」の抜粋を読んでその後の物語を読んでみたいと思ったならばそれは知的好奇心をくすぐられていることになるだろう。
次に、それが実用的であるかどうかということもある。学校の授業で最もメジャーで大半の人に実用的であると言えるのは英語だろう。英語を実用的に活用する未来の自分を想像するのは、今勉強している自分に価値を見出し、「面白い」と言えるのではないか。
最後に、その授業が記憶に残るかというのがある。教師の発言、難解な数学の問題を解いた時、平安の人々の悲愛の詩に触れた時、物質の化学反応を見て知的好奇心をくすぐられた時、その瞬間の種類はどんなものでもいい。その深く残った記憶が学生を教職、数学者、文学、化学者へと導くのだと思う。
「面白い」と思うのは誰?
ある程度の「面白さ」の基準を示したところでこの疑問に移ろう。
このことこそが今回僕の意見の核と言ってもいい。
上でも示しているように「面白い」と思うのは我々学生である。
教師が授業を行い、生徒に問いかけ、生徒が自発的に考えることで初めて記憶に残り、知的好奇心が湧き「面白い」と感じるのだ。
逆に言えば、教師がどんなに素晴らしい授業をしても、生徒が自発的に考えないのであれば「面白い」とは感じ得ない。
怠惰である僕たちは部活、恋愛、バイト、趣味に忙しく、勉強について自発的に考える暇はない。考える暇がないのであれば必然的に授業を「面白い」と思うはずもない。
その結果、僕たちは自分たちのやる気のなさを棚上げし、「授業が面白くないのは教師のせい」という単純すぎる言説を信じてるのではないだろうか?
「つまらない」授業とは?
さて、一度これまでをまとめたい。最初に書いた「授業がつまらないと感じる原因は生徒が引き起こしている」というのは上で書いてるように学生が自発的に考えることがないために「面白い」とは感じ得ない。その結果、「つまらない」と感じる。ということだ。
では「教師がつまらなさを加速させている」ということについて説明していきたい。しかし、説明の前にここでも「つまらない」授業について基準を考えることが必要だ。「つまらない」というのは「面白い」の反対であるから「面白い授業」の対比でほぼ説明がつく。
まず、知的好奇心をくすぐられない授業。教科書を読み上げ、表面的な事実だけを記憶させるだけの行為。いわゆる「詰め込み教育」というものだろう。ここに「面白さ」を見出せるはずもない。
次にまったく記憶に残らない授業。残るのは50分の拘束による疲労感とつまらない授業をする教師に対する嫌悪感。英文を書き、ロジックも説明せず、ただ訳を写す授業、いや作業がどうして記憶に残るはずがあろうか。
最後に、試験のための授業。これは制度上仕方のないことかもしれないが、ただ勉強をするだけなら一人でも良いし、ちょっとその科目を勉強をした優秀な学生ならば試験のための授業を教師の代役としてできる。それは教師の必要性を減らしている気がする。
(実用性がないこと=つまらないと断定するのは浅はかなのでここでは避けることにする)
怠惰な僕達と「つまらない」授業
ここまで読んで「怠惰で忙しい学生」と「つまらない授業」の相性がかなり良いことにお気づきだろうか?
知的好奇心をくすぐらない授業は文学を読む時間をアルバイトの時間に変え、記憶に残らない授業は考える時間を作ることはない。また試験のための授業とは忙しい僕たちにとって明確に教師が定めた指標を示す直線で一方通行的なものであってくれる。
この相性の良さの結果、教師は自分の授業が学生のニーズに合っていると錯覚する。これが教師自ら「つまらなさ」を加速させているのだ。
また、教師に成長はない。これは個人的な意見ではなく、塾や予備校とは違い顧客満足度を知るのが難しいからだ。
先日、寝てる生徒を叱った教師の発言で「理解できずとも聞くふりをしていることに意味があり、それが社会に出てから役立つ」という趣旨の発言があった。これは教師自身が自分の授業の面白くなさを理解し、それを肯定しているように聞こえる。また、社会なぞ多様なので教師・親のこの文言は気にしない方が良い。
おわりに
僕がこの文章を書いたのは学校教育の面白くなさを教師に完全に原因があるとする人々と自分自身に違和感を覚えたからだ。
この負のスパイラルを解消する方法は僕には思いつかない、ただ、僕の文章が記憶に残り、教職に対しなんらかの知的好奇心を抱いてもらえたら僕は嬉しい。
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