未来予想図
─2034年10月。
ようやく夏の暑さも落ち着き始め、短い秋の訪れを迎えていた。
ベランダに出ると、夕陽が沈みかけた西の空のブルーのキャンバスに、柿色の薄雲が広がり、街灯が瞬きはじめた。
急に思い立ち、ベランダから戻り、頭の奥の隅の方に収まったログインIDとパスワードを引っ張り出し、iPadの画面に入力してみた。
受け付けてくれなかった。
あれ?違った?なんだっけ?
ごちゃごちゃに収まったIDとパスワード、それともこれか?と、もう一度引っ張り直し、入力した。
受け付けてくれた。
久しぶりに見た、まるで変わってしまったトップページに、それでも懐かしいような、初めて見るような、半々の思いがよぎった。
「クリエイターページ」
確かここが自分のページだ。
開いてみると、昔公開した記事が残っていた。
一番最初の記事は、2024年3月。
10年半前にまで遡る。
懐かしいな・・・。
毎日書いていたのか。
よく書いたもんだ、今やれって言われても無理だな。
そう思いながら、一つ一つ、ざざっと読み直してみた。
それでもなんとなく書いた記憶は残っている。
それにしてもよくもまぁ、くだらないものを書いたものだ。
自分が書いた文章も懐かしかったが、やり取りしたコメントも懐かしかった。
そうだ、そうだ、こんなやり取りしたっけ。
文章以上に我ながらくだらんコメントだな。
ひとり苦笑いした。
そういえば、フォローしてくれてた人たちはどうなっているのか、いくつか訪ねてみた。
ほとんどの人が、もう何も書いていない。
中には退会したのか、アクセスできない人もいる。
頻繁にやり取りした人のことは今でも覚えている。
みんな、どうしているのか、妹は元気なのか、今、誰かに何かコメントしたらどうなるのだろうか、そう思った。
─2024年10月。
今現在、こうして、日々、思うがままに徒然に書いている。
十年後のことなど何も考えずに。
それはそれで当然のことだし、それがこのnoteの役割だ。
果たして十年後、自分は一体どうなっているのであろう。
逆に十年前の2014年、十年後の今の自分を想像し得ていたか。
答えは否だ。
変わっていないことは、住所と勤務先。あと身長と体重もか。
それ以外は、十年前の自分には想像できないほど変わった。
そう考えれば、十年後の2034年、今の自分では想像できない自分になっているのであろう。
十年後、これを見る機会があるならば、そんなに変わっていないぜ、と言うのか、こんなに変わり果てたぜ、と言うのか、自分自身の未来を予想するのは、なかなかに難しいことである。
と同時に、考えても仕方のないことでもある。
果たして2034年、これを読んだ自分はどう思うのだろうか。
そのために、これを書いてみた。
─2034年10月。
昔の記事を順に見ていたら、2024年10月に「未来予想図」というタイトルの記事があった。
何を書いたのだろう・・・。
クリックしてみた。
思い出した。
10年前、こんなの書いたっけ。
10年前か・・・。
読みながら当時の情景を頭の中に甦らせた。
あれから、もう何もかもが変わっていた。
変わって当然でもあった。
変わって欲しくもなかった。
すべてが懐かしかった。
2025年3月、始めてからちょうど一年で、毎日書いていた記事が途切れていた。
あとは散発的になり、2025年夏以降、何も書かなくなっていた。
しばらく画面を見つめ、『十年ぶりに』のタイトルで記事を書き、公開してみた。
何か反応はあるのだろうか。
かすかな期待と、そんなわけないよなの思いを交錯させ、一口珈琲を飲んだ。
そして、十年か・・・、あっという間だな、そう呟いた。
再びベランダに出ると、天空に、太めの半月が煌々と輝いていた。
DCT 未来予想図