走馬灯
西の空が明るく暮れなずむ。
命尽きる前の最後の力を振り絞るかのように、夕日が眩しく輝く。
下町の、そう高くはない建物が影のように黒く見え、わずかに光り始めた彩り鮮やかなネオンが映る。
客先での仕事が終わった。
仕事とはいえ、度重なるトラブルを謝るため頭を下げに行った。
散々怒鳴られ、さっさと直せと資料が飛んできた。
この程度のこと、いつものことだからそんなに気にならない。
しかし、今日は個人的に嫌気がさすこともあり、いつもより気が滅入っていた。
ため息をつきながら歩いていると、遠くに小さな観覧車が見えた。
こんなところに遊園地があったのか・・・。
引き寄せられるように、歩みを進めた。
『本日無料』と書かれた看板につられ、遊園地のゲートをくぐった。
きらびやかな灯りと哀愁がかった曲とが、懐かしさを呼んだ。
不思議と他に客がいない。
せまい園内をあてもなく歩いていると、誰も乗っていないメリーゴーランドが、ゆっくりと上下に動きながら回っていた。
「お乗りになりますか?」
メリーゴーランドの前でひとり立ち尽くしている私に、制服を着た若い女性の係りが声をかけてきた。
「いや・・・、こんなおじさんが乗るわけにはいかないでしょ」
苦笑いしながら答えた。
「いいえ、お客様こそ、お乗りになった方がいいかと・・・」
「・・・なぜ?」
「乗ればお分かりになりますよ」
女性は答えた。
「さ、どうぞ」
女性がレバーを下げると、メリーゴーランドは止まった。
言われるがままに目の前の白馬にまたがり、白馬を固定する支柱につかまった。
「それじゃ動かしますけど、目を瞑ってください。そして私が、目を開けてくださいと言うまで、ずっと瞑っててくださいね」
なぜなのか不思議に思ったが、静かにゆっくり目を瞑った。
レバーを上げる音がしたかと思うと、聞こえていた哀愁帯びた曲の音は消え、辺りは静寂に包まれ、微かな浮遊感を感じながら、身体が滑らかに動き出した。
すぐに目の前にはっきりと、少年の頃の自分が映った。
なんの悩みもない屈託な笑顔。
泥だらけになったユニフォームでホームベースを駆け抜ける。
みんなで給食をしゃべりながら食べている。
隣の女子校の友だちとファストフード店で楽しげに笑っている。
父親と大喧嘩をして家を飛び出した。
すごく早い紙芝居のようにシーンがどんどん切り替わっていく。
楽しかった大学時代。懐かしいみんなの顔が当時のまま笑いかけている。
新入社員で、無我夢中で働いていたこと。それでも楽しかったこと。
悪友と馬券を握りしめながら、がむしゃらに叫び声をあげ応援している。
紙芝居はやがて今の年齢に近づいていく。
大喧嘩したはずの死んだ父親の口癖だった、「男はくよくよするな」と言う時の笑顔が最後に映った。
やがてメリーゴーランドはゆっくり止まった。
「お客様、目を開けていいですよ」
それでもしばし瞼を閉じたまま、やがて少しずつ開けていった。
「いかがでした?乗ってよかったのではありませんか?」
答えるでもなく、少し微笑み、そして「ええ」とだけ呟いた。
「生きていれば、きっといいことがありますよ」
制服の女性は、優しい笑みを浮かべそう言うと、今日の日付が押印された『記念乗車券』と書かれた小さな半券を手渡し、メリーゴーランドの裏側に消えていった。
誰もいない遊園地をぐるりと回り、入ったゲートに書かれた『出口』の扉を押し開け、遊園地を出た。
駅に向かって歩く。
きらびやかな灯りと哀愁がかった曲が、背中の向こうに、小さくなっていった。
最初の交差点を右折する時、もう一度、遊園地を振り返った。
振り返った先は、漆黒の世界になっていた。
きらびやかな灯りは、ただの白い街路灯に変わり、一台も駐車されていない、やや広いコインパーキングが薄暗く音も無く闇に沈んでいた。
手に握られていた記念乗車券を、もう一度見つめ、しっかりと歩みを進めた。