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桜日和


東急池上線・御嶽山(おんたけさん)駅。
小さな駅舎の小さな改札を出た。
灰白の雲のカーテンが、流れることなく空全体を覆う。

短い商店街を歩き、つきあたりを右折すると、御嶽神社に着く。
背の高い銀杏の木がもうすぐ色付こうとしている。
七五三の看板が、これから訪れる小さな子どもたちを迎えようと、真っ直ぐに立っている。
朝早い時間、まだ境内に人はいない。
むしろ、人のいない時を、とやって来た。

いつもなら、健康長寿を祈る人を見かける神社も、誰もいない境内は静かで、砂利を踏む心地よい音が足元から伝わってくる。
ただ、ここに来たかった。



  秋って嫌いなのよ。
  神社でお参りをし、枯れ葉の多い境内を歩きながら彼女は言った。
  
  どうしてだ?
  だって、なんか悲しいでしょ?枯れていくし、寒くなるし。
  それは仕方ないだろ。そういう季節だ。
  やっぱり春がいい。桜が咲いて、暖かくなって、元気が出るわ。
  そりゃ俺だってそうだ。
  そうだ、桜見に行かない?
  今からか?そんなのどこにあるんだよ。
  ちょっと歩こうよ。

  ついて来て、と言われるがまま住宅街の中をしばらく歩いた。


御嶽神社を出、環状八号線を渡り、住宅街の中をしばらく歩いた。
「さくら坂上」と掲げられた信号のある交差点に着いた。
交差点から坂を見ると、ただ枯れただけの樹木の並木道があり、車が通る道路だけが谷底に向かうように下っていた。
あるミュージシャンが、この坂を舞台に曲を書いた場所でもある。
特に歩道があるわけではない坂道を下る。
車が数台、ゆっくりと、しかし身体のすぐ脇をかすめて通り過ぎていく。
枯れた桜の樹は、ほぼ等間隔に並び、坂の最下点の頭上には、赤い鉄製の橋が架かっている。


  ほら、ここ。
  は?
  桜並木でしょ?
  まぁ、そうだが、咲いてはいない。
  「さくら坂上」と書いてある信号の下で、彼女は得意げに言った。

  桜って、咲いてる時はみんな見るけど、
  それ以外の時は見向きもされないのよね。
  今は一生懸命春に向けて力を蓄えているのよ。
  そんな姿こそ見てあげるべきじゃない?
  まぁ、それはそうだが、枯れ木を見てもつまらんだろ。
  何言ってんのよ、念ずれば見えるのよ。
  超能力者じゃあるまいし、見えっこないだろ。
  茶化した脇で、彼女は目を閉じ、見えるはずのない、
  見ることのない桜を見ていた。

  今度は春に来よ。ね?
  目を開け彼女は言った。
  人混みだからイヤだよ。
  絶対に来よ。ね?
  ああ・・・。
  来れないのを知りつつ返事した。
  


赤い橋の下で、目を閉じ、空を見上げたら、枯れた樹木に桜が咲いた。
こみあげた怒りが引いていく。
遠きあの日の歩いた頃のようだった。


桜日和  柴田淳


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