雲海
今日の東京は曇り空。
陽が沈むことも実感できないまま、夕闇が街を包んだ。
東京メトロ銀座一丁目駅から有楽町線に乗り、江戸川橋駅を降りた。
地上に出、神田川に架かる江戸川橋を渡り、首都高の下をくぐりながら歩いた。
最初の交差点を左折すると、目の前に緩やかな目白坂がある。
歩く人はいない。
ひとり延々と続く坂を登りきった高台に、木々に覆われた由緒あるホテルが堂々とその姿を現した。
ホテルのエントランスを入り、ロビーを通り過ぎる。
正面に見える広大な庭園には光が満ちていた。
しばらく待つと、ライトアップされた庭園にスモークが焚かれ、雲海が立ちこめてきた。
ロビーからの窓越しに見える光が、ガラスとスモークに反射し霞がかり、万華鏡をのぞいた世界が広がっているように見えた。
庭園に出る扉を開け、雲海の中に身を溶かしてみた。
かすかに金木犀の香りが漂う。
一瞬、雲の塊りが身体にぶつかると、あたりが真っ白になり、視界からすべての景色が消えた。
雲の中にいる、気がした。
一緒にいる、そんな気もした。
しばらく眺め、やがて雲海がゆっくりと消えた。
短い幻想は終わった。
これを見たいがためだけに、ここに来た。
降り始めた柔らかい雨に傘をさし、坂を下り、ひとり街の喧騒の中に戻った。