
薄幸する女優/宮沢りえ
東京でエレベーターガールやったりサンタフェで全裸になったり相撲取りと婚約したり破棄したり何かと忙しかった宮沢りえが、いつの間にか舞台も映画もこなす大女優になっていた。
五十代の自分からすると、りえちゃんはリハウスガールでありとんねるずのマスコットでありNHKの「NHKのどこがいけないと思う?」と下手に出たアナウンサーに対して、「かいしゃ」とポテコを食べながら答える怖いもの知らずの女の子であった。
大女優なんて肩書は、りえちゃんの体を拘束する古タイヤでしかないのだ(ポテコつながり)。あれほど明るく天然だったりえちゃんを、薄く細く押しつぶす重圧でしかないのだ。
しかし、りえちゃんは『紙の月』に出て大女優になってしまった。7年ぶりの映画で(私の中で)、ほんものの女優に進化していたのである。
つまり、それまで私が彼女の演技をほとんど見ていなかっただけなのだが。
女の陰に男あり、はすでにりりちゃんが証明している。
映画でもりえちゃんが池松壮亮に貢ぎまくる。だがりえちゃんのすごいところは、偽造書類を作っているところすら、家事にいそしむ真面目な主婦のように見えてしまうところだ。もはや困窮する大学生を救うという大義名分も忘れ、一点の曇りもなく仕事にまい進するようなすがすがしさが感じられてしまうのだ。
すがすがしい。やせて白い彼女の肢体は、時々挿入される女子高時代の聖歌のように清らかでものがなしい。
彼女には、貧しい国の子どもたちに寄付をするため、父親の財布から金をくすねるという前科があった。しかし、シスターから責められてもひるまない。ここは、大島弓子の『山羊の羊の駱駝の』の主人公に通ずる自己満足を感じる。
愛する人に貢ぐことで感謝されて満足、だからいいの
しかし、3千万という額は自己満足を超えて自らの欲望にも火をつけた証だった。まん丸顔の小林聡美からとげとげしく詰問され、りえちゃんは結論を出す。ガシャーン、タッタッタッ、ピューン、シャリッ。
月も、紙幣も、宮沢りえの体も、全部うすーいところがこの映画のはかなさを表してるような気がする。おわり。