ブスの悲しみ 写真というテロ
私は自他ともに認めるブスだ。
最近のことといえば、久しぶりに美人の友人に会って、
ああ、美しいと思ったのでそのまま
「ああ、美しい」
と言ったら
「ありがとう。いやーあんたも......かわいいよ......」
とかなり戸惑いながら言われたぐらい
自他ともに認める不細工だ。
その時、私は傷つきつつも
「いや、そういうのいいって」と明るく返し、
友人は
「そっか あははー☆」
と何かから解放されたすがすがしい顔をしていた。
ネタっぽいけど普通に実話だ。
そんな私にはブスとして、
他のブス達と分かち合いたいあるあるがある。
それは、
自分の写った写真の最悪さ
自分の写真をもらうことのありがた迷惑さったらない
ということだ。
自分の写真を見た時、私は間違いなく毎度地獄に突き落とされる。
私は写真に傷つけられすぎて、写真をくれる行為は自分へのテロ行為だと思っている。
何事もなく楽しく過ごせた一日が
写真をもらった瞬間に一気に吹き飛ぶ。
写真を見てただただ落ち込む。
<はぁ、今日もすんごいブス>
<こんなにも明らかなブスだとは……>
<化粧してるときは普通の人ぐらいになれたかと思って気にも留めなかったけど実際こんなにブスなのね>
<化粧して髪の毛も気を遣ってこれって・・・・・・>
<綺麗な景色の中にものすごいブス>
と自分から自分への誹謗中傷が止まらなくなる。
思い出もただの楽しいところに行った思い出が、
楽しいところでブスが身分わきまえず変な顔で楽しんでしまったという思い出になる。
そしてその日楽しかったということはもう頭から消えて、
ただただ自分が不細工ということに向き合う重く暗い時間がのしかかってくる。
私は他人に比べてメンタルがかなり強い方なので
なんとか耐えられるし、
また、哲学を学んで多様な世界や思想の存在を知っているので
世界が自分の美醜のみで成り立っている訳ではないということを思い出すことも
なんとかできる。
でも一般のまじめなブスはどう、不細工すぎる自分と対峙しているのだろうか。
もしかすると、他人に言えないだけでこの写真テロの被害者ブスって多いし、人によっては消化できずかなり苦しいのでは……と思う。
撮る側は「自分のいい笑顔を残したいしあなたの笑顔も残してあげる!」と善意的なので言い出しづらい部分もあるのだ。
ただ、このテロ行為とそれにおける被害については
今のところ全然良い対処法、治療法がない。
ネット社会の今、写真テロの被害者たちとこの傷を分かち合って、
今日もどこかでほかのブスが同じように傷ついていると知ることで、
「自分ブスすぎワロタ!!!!みんなー今日も立派にブスかましちゃったよ!!!ははは」と笑い飛ばせる環境を作りたい。
でもまずは、このノートを読んだ被害者の方が次に被害に遭った時に
「うわ!今日もやられた!でも自分だけじゃないんだな。やれやれ、他のブスの皆も大変なんだわ」
と思い出して、孤独に沈むことを避けられたら幸いである。
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