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計算ですか? 愛ですか?

自分はこんなにがんばっているのに……。
自分はこんなに相手に尽くしているのに……。
そんな報われないさみしさを、じっとかみしめることがあるかもしれません。

仕事でも、恋愛でも、がんばりを認めてもらえないとだんだんしんどくなりますよね。
だけど、そんなふうにあなたをしんどくさせるものは、心に横たわる「ほめてもらいたい」「感謝されたい」「同じだけ返してほしい」という見返りを求める気持ちなんです。

見返りを期待しているあいだは、がんばっても、がんばっても、いいことは起こらないでしょう。
あなただって、相手がほめられたくてやってる、計算ずくでやってると感じたら、素直に感謝しづらくなりませんか? 

『無功徳』(むくどく)。
――善行と意識してすることは善行ではない。功徳を期待するな。そんなものは無い。そういう気持ちを超えたところに真の善行と功徳がある。

私はこの言葉に目を開かれました。
自分が善い行いをするとき、「これをしたら自分にもきっといいことがあるだろう」と期待したとします。
すると、報われなければがっかりするし、報われればさらに大きな期待を抱いて、心のなかはどんどん騒がしくなるんですね。

好きな人に尽くす場合も同じです。相手に多く期待するほど何も返ってこなければ落ち込み、返ってきたらきたでますます期待して、ヤキモキするようになります。

あなたがどんなに人に尽くしても、がんばって善い行いをしても、見返りを求める気持ちがあれば、それはただの欲。
私たちは知らないうちに多くの欲にとらわれて、山のような期待を抱え込み、みずから苦しみを作り出しているのです。

あなたにとって大切なことは、自分の欲を満たせるかどうかではありません。自分の欲を捨てられるかどうかです。
これからは、何ひとつ期待しないで動いてみませんか。
期待を置いて、ただ与えることができたとき、ただ善い行いができたとき、あなたは“真の功徳”を受け取るでしょう。

人間は欲深い生きものです。だから、無欲で与えたり、善い行いができたら、その時点で、その人の心はすでに報われているのです。

見返りを当てにしなければ、結果がままならないと思い悩むことも、期待を裏切られて悔しがることもなくなります。
心が、もうアップダウンしなくなるんですね。
それを体験すると、自分がただ与えられるということが喜びになります。
そして、それがふつうになると、心がシーンと静かになります。

そこに訪れるものが“やすらぎ”。
このやすらぎこそが、かけがいのない真の功徳なのです。

――無功徳――

     ★ あなたの生活に禅語を、著書『こだわらない とらわれない
       もう、悩まない』(サンクチュアリ出版)より★

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