
旅の途中
集合写真を見ると、だれもが最初に自分を探して映り具合を確認します。
やはり自分という存在ほど気になるものはありませんよね。
こんなに自分のことが気がかりなのに、自分がどういう人間で、何を目標に生きているのかわからない……。
ここに、ドギマギしながら生きている人が多い理由があるように思えます。
私たちの心は、たとえ金銭的に豊かになったとしてもやすらげません。
自分のことを知って、自分がどこに向かって生きているのかを把握することが、心の安定には欠かせないからです。
あなたのまわりを見渡してみてください。
どんな出来事があっても落ちつき払っている人というのは、自分のことを客観的に見つめ、何かに真剣に打ち込んでいる人ではないでしょうか。
以前の私は、自分がしたことの結果をすぐに求めるところがありました。
成果が表れないと、たちまち焦燥感に襲われて、「人生を長い目で見て何かを地道に積み上げていく」という作業がまったくできませんでした。
フリーアナウンサーになって仕事をもらうときも、海外で初めて会社を興したときも、成功している人を当てにしてはさんざんな目に遭い、ずいぶん情けない思いをしました。
私にとって未知の世界で生きていくことは、ポンと広い海に放り出されてさまようことのような気がして、不安でたまらなかったのです。
社会に出てからずっとこんな調子だったので、マスコミという華やかな世界に身を置きながらも、私の心はどんどんすり減って、ボロボロになってしまいました。
皮肉なことに、その間、私は「自分が傷つく体験を地道に積み重ねていった」ようです。
今では、それは自分が生涯をかけたいと思う仕事に目覚めるための体験だった…とよくわかります。
あれほど自分が傷つかなければ、あれほどもだえ苦しまなければ、自分がどういう人間かもわからなかったし、こうして心の研究にのめり込むことはなかったからです。
今は、どんなつらいことに出くわしても、「心の研究をする」という自分の進むべき道に必要な体験が与えられた、とすんなり思えるようになりましたから気楽です。
あなたは今、どんなことにのめり込んでいますか?
何をしているときにワクワクしますか?
そこに、あなたの進むべき道があるかもしれません。
のめり込むことなんて何もないという人、あるいは何をやってもうまくいかないという人は、その状態でさえ、長い目で見たら人生という旅の途中だということを知ってください。
そして、長くつづいている混沌とした体験が、いつか実を結ぶときがやってくることを信じてください。
そのために必要なのは、自分を小さな枠にはめ込み、一生を決めつけてしまわないようにすること。
「自分の進むべき道をかならず見つけ出す」という意志を、絶対に失わないことです。
あなたの内側からわき出る好奇心や情熱を見逃さないよう、自分をねばり強く観察しつづけましょう。
「どうしてもこれがやりたい! 知りたい!」という “いのちの叫び”に突き動かされて生きていくこと。
人生に、それ以上の喜びはありませんよ。
★ 著書『うえを向いて泣こう。』(サンクチュアリ出版)より★