ミシュラン三つ星レストランへの挑戦 vol.2
東京・白金のフレンチレストラン「ラ クレリエール」のオーナーシェフ、柴田が日々、何を考えているかを綴ります。
[フランス料理] レストラン ラクレリエール柴田秀之
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[映像] ルブトンワン 佐々木優
2020年 10月26日~11月1日まで(29日木曜日は店休なので除きます)の6日間のディナータイムに、
これまでの柴田の料理人生や、料理哲学を映像で表現したmovie(30分ほど)を
ご覧になって頂いた後、クレリエールのお料理(12品ほど)を楽しむというディナーイベントです。
ご予約はHPからお願いいたします。
第一章 レストランのシェフになる
前回の記事はコチラから → 1.シェフになろうと思ったきっかけ
2.家族の存在
あなたの人生だから
中学生の時に料理人になることを決め、高校でもそれは変わりませんでした。地元の進学校だったこともあって学校からは何度も大学進学を勧められました。でも僕は進学する気にはまったくならなかったし、家族からの反対も一切ありませんでした。
両親は「あなたの人生だから」と言って、僕の好きなようにさせてくれました。
母は、元は美容師でしたが、調理師免許も持っていて町民会館への仕出しを作ったりもしていました。父も、母の父がやっていた食品雑貨の店を引き継いでいて、両親が共に食と関りが深かったことも、僕が料理人の道に進む大きな要因のひとつだったかもしれません。
年功序列に入るな
そして、6歳年上の兄の影響も大きかったです。印象に残っているのが「年功序列に入るな」。すでに自分の力で仕事をしていて、年功序列じゃない世界で戦っている兄の言葉には、強さと説得力がありました。
ちょうど僕が中学~高校の頃にTVで「料理の鉄人」をやっていて、“和の鉄人”だった道場六三郎さんに憧れて日本料理を目指そうかと考えたりもしました。でも、兄の言葉で年功序列がより薄そうなフランス料理に決めました。フランス料理ならお菓子も作れますし(笑)
やるなら東京で
高校卒業後の進路に選んだのは、東京・国立の辻調(エコール 辻 東京)でした。東京で仕事していた兄に「やるなら東京でないとダメだ」と言われていたこともあって、僕自身「やるなら東京で」と思っていたので、札幌などの調理師学校にはしませんでした。でも、いざ東京に出るにあたっては、内心、不安はたくさんたくさんありました。
親に心配をかけない
もう一つ兄の言葉で僕が大事にしているのが「親に心配をかけない」です。勉強も、自分の成績云々より「親を喜ばせたい」という気持ちでやっていて、結果的に進学校に入った、という感じでした。
東京の辻調に進むことについても、自分で調べて体験入学に行ったり、進路が決まった後の期間はバイトをしてお金を貯めて入学時に購入する包丁セットを自分で買ったりと、親に心配をかけないために自分でできることはできる限りやるようにしていました。
この“相手を喜ばせるために自分ができる限りのことをやる”というのは、その後の僕の生き方にも大きく影響しています。
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このnoteを初めて読んでくださった方へ
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はじめに初めまして。ラ クレリエールの柴田です。
白金でフレンチレストランのオーナーシェフをしています。
2020年のコロナ自粛の間、レストランのあり方や自分が今後進むべき道など色々と考えました。その中で「ミシュランで三つ星を獲得すること」を一つの指標として強く意識するようになりました。
そして、どのようにすれば三つ星を獲得できるのか、三つ星にふさわしいと皆様から認めていただけるのか、日々、考えたことや行動したことを記録に残そうと考えました。
ご興味を持っていただけたら幸いです。
◆レストラン ラ クレリエール◆
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