【臨床雑考】心理検査の「ない」の証明~あるいはMMPIのwithin normal limitについて
このノートは、心理検査の実践のなかで考えたことを示すノートです。
「ほんとうに、病気じゃないって言えるんですか?」
心理検査にこんな要望がよせられることがあります。「病気じゃない、ってわかりますか?」です。ひょっとしたら会社で「おかしい」とおもわれたくない、家族にさんざん「へんだへんだ」といわれたから家族に「変じゃない」ことを証明したい・・・・などなど
少なくとも僕はこういう時にちょっとかまえてしまいます。検査者のなかには、首をひねりひねり、対応に苦慮する人もいるのではないでしょうか。というのも、そこには心理検査の特色がかかわっているため、だと思うのですよ。
これが血液検査とかの指標だったら物事はとってもクリア。「ああ基準値ですなあ」「平均より高めですなあ」。その意味はたいていどっかに書いてますからそれみるとわかるのですね。心理検査も同様に、「数値」と基準と「どっかにかいてあるもの」(→心理検査の解釈文descriptorってやつですね)から構成されています。例えば・・・・・・SDS(うつ尺度)=15点、評価:問題なし(解釈文より)。結果はうつ状態が「問題なし」と考えられる・・・・・といった具合(※数値適当)。そうなると、例えば「ああうつ検査で数値ひっくいですなあ」ってなったら「じゃあ問題ないんすよね?大丈夫ですよね?」・・・・と簡単におさまらないのがたいてい、なんですよね。
そもそもの「要望」が簡単じゃない
たいてい、上記のように「本当になにもないの?」といった要望がよせられたときは、表面的に言われていること以外に、埋もれた要望があることがたいていです。何らかの不安が、「本当に大丈夫か」をもとめていることも多々あります。だから例えば「うつに”二度とならないの”?」「もう働いても本当に大丈夫なの?今まで通りの仕事が本当にできるの?」といったような疑問がうもれていたりするのです。そういう要望への回答をしようとするとたいてい心理検査の”単一の指標の解釈文”をはみでることになります。例えば「抑うつ尺度がたかい」はただ抑うつに関連した心身の状態が主観的に経験されていることをしめすのであって、それが”今目の前にいる、その人が、その環境の中で”なにができるか、とまでは十分に示せるものではないのです。
さらに要望に含まれる「検査の結果への期待」がある
そして要望のなかには、「検査の結果がどうあってほしいか」という点もかかわってきます。仕事をもう少し”休みたい”から「うつ」が強いと評価され”たい”。病気だっていわれたら”学校行かないですむ”。病的なラベルがつくことが、検査を受ける人にどのように受け入れられるのか、も重要な視点です。
要望が真摯にただひたすらに「どういう状態・どんな病気なんだろう?」と問われている場合は、シンプルな解釈文そのものが実際に役に立ちます。そういう人はみな「ああそういうことか」と安心するのがたいてい。今までの困ってまってきたこと苦しんできたこと、名状しがたい苦悩に”名前がつく”体験になることがおおいでしょう。
でもそんな問いだけがむけられることが少ないのが実感。やっぱりだれも様々な要望といろいろな社会・家庭環境に身を置くので、そう簡単にはいかないのでしょうね。
実際、「問題ない数字」なんだけれど、研究されていて”問題”がうかがえる検査がMMPIです。
MMPIのWithin Normal Limit
MMPIであらゆる問題が「ない」をしめす(って一見おもえる)プロフィールは通常範囲内(Within Normal Limit:WNL)と呼ばれてるものです。臨床尺度がすべてT=70以下のプロフィール。
単純に基礎尺度個々の解釈文を見ると、当然たいていが「病的問題」を記述した文章に出会わないわけです。
じゃあこれが「おお、この人は、病気じゃないぞ!」とかんがえていいのかっていうとそうでもない。実にそうでもない。
というのもGreeneの「The MMPI: Use With Specific Populations(1989)」によれば、いろいろな診断群・特定のグループのMMPIの研究があるのだけれどそのうち一章にWMLがあてられているのです。しかも精神科でのWML,精神科以外でのWMLとわかれてて記述されてて・・・・・・え?そんなにWMLってポピュラーなの?頻出?
ぼくの実感では、たいてい何らかの問題をもって受験する人とほとんどだし、WMLは「少数派」。だって臨床場面、だしね。困ってる人が目の前にいるのだし、その人たちが受けているのだし。就職面接ならざらにありそうだけれど。
ちなみに、まれにみるWMLの人の場合、ほかの検査、特に投影描画法の何かをバッテリーにくみあわせておくといいです。意識的には「何にも自分には問題ないよ」(=MMPIがWMLである)っておもっているのに、投影される内面には問題が映し出されることがあるから。
Greene(1989)をちらみするかぎり、どうもWMLには「薬物依存・アルコール依存」の人が多いようです。依存症の人たち、そうか「否認」されるから、意識的には問題があらわれない、のかも。
ということでWMLプロフィールは、依存症にご用心・・・・あれ?じゃあ「問題ない」って証明になる・・・・わけじゃないの?冒頭書いた、心理検査の特色、一筋縄でいかないところ、はここにあるのではと思うのです。WMLはMMPIからすれば「体験する主観的意識的レベルにおいて、病的問題が経験されてない」ことは示せるのです。でも、実際は依存に関する問題がかくれていたりするかも、とMMPIはささやいてくるのです。
”けど”の先
心理検査受けました、ああ「うつ」ありました。こうした流れはまあ理解されやすいし、そういう方向での研究はおおいわけです。何名のうつ病者に何の検査して、点数の平均なんぼでした。だからこのテストで何点とればうつでっせ。そうだよなあ。方向としてはその逆。逆理もまた真理・・・・と証明できるほどの、数学の公式みたいな展開がしにくいのが実際。たしかに、「うつ」はなかった、ようにみえた。「体験上、意識からは「うつ」はない、とはいえる”けど”」。この”けど”の続きに諸々展開しがち、なのが現場の検査のハナシだよな、とおもいます。
文献
Greene,R.L.(1989)The MMPI: Use With Specific Populations.Peason
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