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よい受け手とは、自分には内容が分からないメッセージを聴き続けられること

この四月から、上野くん・仙仁さんと往復書簡を始めました。

贈与は受け手が先立つという内田樹の考えにたった文章を書き、「ではよい受け手とはどんな人なんでしょう?」と二人に投げかけさせてもらいました。

ただ投げかけるだけでは少し愛想がないので、よい受け手とは些細な変化に気づける人なのではないかという自分の考えも少しだけ書きました。

この記事は、二人からの返事を待ってる間に私が考えた、よい受け手(というかほとんど聴き手)について書いています。


なんでもかんでもは受け取れない

贈与は受け手が先立つなら、この世の全てを自分宛のメッセージとして受け取れる人は全ての贈与の起点になれるのでは?

なんて考えたこともありました。チラッと。

でもぼくはどうやら思い違いをしていました。人には受信できる限界があります。

言われてみれば当たり前なのですが、ちょっと立ち止まってみなければ自分ではこの考えに至りませんでした。

ぼくは漫画が大好きでいろんな漫画を読みます。漫画でも受信限界に達したキャラクターがいろんなところで描かれています。

例えば、炎炎ノ消防隊のハウメア。トライガンのミリオンズ・ナイブズなんかがそうです。

ハウメアは人の心を受信できる能力があるキャラクターで、その力ゆえに受信しすぎて自分の心が壊れてしまいます。

ナイブズは自身と同じ種族と融合する際に自分が呑み込まれないよう少しだけ融合体と自分のあいだに距離を取ります。

どちらも受信限界を描いています。ただひたすらに受信することは、よい受け手になれないどころか自分が壊れてしまう結果になることが分かります。

ルフィと万物の声

ワンピースのルフィだって、万物の声が聞こえる素養があるようですが、常に万物の声を聞いているわけではありません。ズニーシャや海王類など、その時々で、普段なら聞こえない相手からのメッセージを受け取っています。

しかもその受け取り方が秀逸で、ルフィは違和感を感じるところから始まるんですよ。

「え、なに?!誰がしゃべってるの?」
「誰だお前、どこからしゃべってるんだー」
「何の声!?」

とか。

こういう違和感を感じるところから出発して、ずっと相手の声を聞き続けるうちにメッセージの発信者が分かり、会話ができ、発信者を味方につけ、困難を乗り越える。

ルフィが持つ、万物の声を聞く素養が発揮されるシーンでは必ずこの流れが繰り返されます。

途中から、「またこのパターンか!どこかで俺に話しかけてるやつがいるだろう。名乗れ!」なんてことは絶対に言いません。

発信者も内容もよく分からない声が聞こえたとき、それを聴き続けることしかできないことをルフィは直感的に知っているからです。

断定するような言い方になってしまいましたが本当のところは作者の尾田先生にしか分かりません。でも、こう考えないとルフィの受け手としての態度に説明がつかないんです。


今の自分にはよく分からないものを、それでも聴き続ける


ルフィの話ばかりになってしまいました。よい受け手に話を戻しますと、往復書簡でぼくが書いた、些細な変化に気づけるのがよい受け手、というのは案外いい線いってたんじゃないかと思っています。

普段は見聞きしない、何だかよく分からないものがあるぞ。しかもそれに対して目が離せないし、耳をふさげない。なぜなら、それは自分に宛てられたメッセージのような気がするからだ。

こういう自覚に立ち、分からないものに耐えうることのできる人がよい受け手になりえるんじゃないでしょうか。

そう考えると、謙虚さって美徳ですよね。大人になればなるほど、分からないと言い出しにくくなって、知らないことでも知ってる風に話したり、勝手な解釈や断定をしてしまいますから。


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