46. 愛の告白
介護生活に入ってからというもの、お手伝いさんと二人で24時間体制で父の面倒を見ていた。始終つきっきりなわけではないのだが、どういうことかというと、夜中どちらかが父をトイレに連れていくからだった。
いくらオムツをしていても父は絶対にトイレでしかコトをなさなかった。これが本当に大変だった。ベルで起こされると即座に父の寝室に出向く。1分も待たせようなら機嫌が悪くなるから私達も必死だ。そして、ここからが長い。身体を起こしてあげて、歩行器に捕まってもらい、トイレによちよち歩きで赴き、衣類を脱がせて便器に座らせてあげるのだが、そこからもずっと座ったままで、なかなか用を足せない。それを眠い目を擦りながら、冬場なら寒い廊下の中、10分でも20分でも父が納得するまで待つ。そしてそれが終わると、またズボンを履かせてベッドに戻る。
ここからがまた大変で、前に述べたが几帳面な性格だから、シーツが綺麗になっていないと気にいらないので、そこでまたそれを自分で納得いくまでピンとなるまで治し、ベッドに入ると今度は自分がベッドのどの位置にいるかまで決まっていて指示が出る。
それが夜の間に3~4回ほど繰り返される。お手伝いさんの方が私よりもそのシフトを多く買って出ていてくれたにしろ、何しろ父の寝室は隣で、廊下で何が起きてるかは聞こえる。午後はそんなこんなで父はソファでうとうとしていることが多く、私達も割とゆっくりした時間を送っていたとはいえ、私もお手伝いさんも寝入りばなに起こされるという生活で寝不足が続いて1年後には、介護疲れでほとほと参っていった。喉が弱ってきて咳き込むようにはなっていたが食事もまだ出来るし、寝たきりの状態になるまで病気が進行するのは、もっと後だろうし、何か他のやり方を見つけないと私達二人が介護疲れで身体が持たないということになった。
「絶対に嫌だ」とごねる父を説き伏せて、2017年1月、1週間に1~2晩だけでも施設で宿泊してもらうことになった。思えば、これが父の死期を早めてしまった。
一番、彼が気に入りそうな高級介護施設を選んだにも関わらず、あんなところは嫌だと駄々をこねられ、あちらこちらを下見に行き、施設を数カ所転々とした。結局、最初の所へ戻ることになったのだが、毎回、父を残してくる時とても寂しそうで、私も寂しかった。そうだったのだから、夜中に起こされるぐらい、我慢してやればよかったじゃないかとも思うが、全てが終わってからだから言えることで、あの時点でもっと長丁場になると思っていたのだから仕方がない。
「お父さん、、私、お父さんのこと大好きだからねっ!」ある日、父を施設の部屋に残してくる直前、思わず私は父に泣きじゃくりながら訴えていた。涙がボロボロこぼれている私を、その突然の娘の言動にびっくりしたように大きく見開いた目で見つめながら、その瞬間、父も大粒の涙を流し「お、お父さんもヒデヨが好きだ、好きだ、好きだー!」と一生懸命に大声で好きを三度連呼した。
今まで一度も伝えたことがなかったし、はっきりと言われたこともなかった。この頃、父は喉の神経がだんだんと使えなくなっていたことで、しゃべることがあまり出来なくなっていたにも関わらず、その言葉だけはしっかりと出てきた。叫ぶように大声でなければ出なかったのかもしれない。
親子とは、不思議な縁だと思う。なんでこんな親を選んで生まれてきたか、よく分からない時もあった。『生まれ変わったら2度と近しい関係になんかなりたくない』とも思っていた。大好きと大嫌いが、見事に混在していた。最近、良く言われる紛れもない”毒親”の最たる人だったし、私なんぞ毒親に育てられた人が陥る精神科系の病名がいくらでもくっつけられるほど壊れていたと思う。
あの日、父への愛を伝えようと構えていたわけでもなければ、いつか言おうと用意していたわけでもない。あの思いがけないドラマのような場面は、子供の頃に傷ついていた全てを帳消しにするに余りあった。それは父にとってもそうだったと思う。同時に、表現はどうであれ、親の深く大きな愛はずっとずっとそこにあったのだ、と気付かされた。
介護を通して、私達子供は、”親の親”になるのだと思う。介護を通さなくとも、子供は親の親、あるいは”師”であるのかも知れない。人間はどんどん年老いて子供に返っていく、というのもそうだけど、魂として考えた時、誰かの子供として生まれてくるのは、その親を成長させ、彼らがその前の世代によって負った傷を癒し、なおかつ、親を癒すことによって、自らが親によって負った傷をも癒す。親以上に寛大にならねばならなかったりする。
この時代にいる私達の世代は、人間がいつの時代からか作り上げてしまった歴代続いてきた人類の集合意識に根ざした深い傷を癒し、恨みや憎しみを帳消しにし、許し、自分を癒し、その負の連鎖を止め、愛を繋いでいく役割があると思うのだ。それぐらい意識の変化の大きな時代に生まれている存在だと思っている。自己の探求、精神的成長、自己変容を遂げた私は、この時点で父の介護を通して、”親の心”という最も高尚な”無償の愛”という見返りを求めない愛を体現させてもらっていたのだ。