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お呼びでないと思ったが「アイの歌声を聴かせて」は傑作だった!

イヴの時間吉浦康裕監督の作品なのでどうしよっかなと思っていたが、予告編を映画館で見て主人公のAIロボットである「シオン」のイタさっぷりに「ああ、こりゃ徹底的に若い子向けの作品でオジサンはお呼びでないな」と思っていた。だが、Twitterでフォローしているタイムラインでの反響がなかなか良かったので、誕生日割引きで見ることにした(ごっつぁんですsmtさま)。

いやいやなかなかどうして!

ミュージカル風と言っても「龍とそばかすの姫」のシンフォニックな音楽とはまた違ったポップな音楽が心地よい。突然歌い出すシオンのイタさっぷりは最初は気になったが、そのうちストーリーの展開に従って気にならなくなり、最後はどうでもよくなった(終盤はむしろまるっきり人間ぽいので)。

うまい構成だなあと関心。散りばめられた伏線がどれもきれいに回収されて収束していく。Bパートで最高潮に盛り上がったところでストン、Cパートが展開部、Dパートが終結部、といった感じできれいに起承転結、音楽で言うなら(二重提示部の)ソナタ形式のように見事に構築されている。

こじれてしまった人間関係が、シオンの突飛な行動によって見事に着地していくのだが、このAI(学校では人間のフリをしている)は人間の感情と行動をどのように感知、分析しているのだろう。それに関する具体的な説明はなく、見る人の想像に任されている。ウォズニアック・テストもかなりマニアック、チューリングテストの行動発展型と言えるけど、まだ現在のAIでは突破できないはずだ。

基本的には画像認識AIを発展させて、さまざまなハッキング能力を隠し持つAIといえなくもないけど、元型的な命令を忠実に実行するために自分で思考を重ねることができるというあたり、SFと現実のボーダーを垣間見させてくれる。もしかしたら、こんなAIが誕生するのかもしれない、それもさほど遠くない未来に?と物語に引き込ませる強引さが心地よい。


現代のあらゆる小説・映画・演劇などの「物語」のテーマは、ほとんどが「失われた何かを取り戻す」ことではないかというのが、個人的に考えている仮説現代人は、自分が本来持っていた何かを奪われていると潜在的に感じており、それを取り戻したいと願っている)なのだが、この映画も「見失っていた、奪われた絆を取り戻す」お話だった。

土屋太鳳の声でシオンが歌う歌は、主人公たちが見失っていた絆を取り戻す後押しになる。そのさなかにシオン自体が奪われた。それはプロジェクトを取り上げられたサトミの母親も同じなのだが、奪われた仲間達と母親は奪還作戦を遂行する。この過程でシオンがなぜサトミに執着しているのか、その関わりが解き明かされていく。

奪還作戦の結果がどうなったかはぜひ映画館で確かめて欲しい。映画を見ている我々も「失われた何か」を取り戻した気持ちにさせてくれるのは請け合いである。

私達は一体何を奪われていて、この映画を見て何を取り戻すのだろうか?
この映画のトピックは、本来ならあるはずのない「AIとの絆」が存在し、それを取り戻すことで、日々を生きる元気を取り戻す、あるいは受け取れることなのだろう。


世界中で、ことにアジアで「村上春樹」が評価されているのは、グローバル化に伴って「家族・一族の絆」を失い、現代社会に翻弄されながら何かを探し求めていく主人公たちの姿に共感するからだと、読んだことがある(「世界は村上春樹をどう読むか」)。

村上春樹の作品は、後期グローバル資本主義がもたらす<いま・ここ>の感覚が失われる恐ろしさを、そしてそのなかで生きる我々の内なる難民としてのありようをあらゆるレベルで理解しています。世界的消費経済が、場所の固有性を奪い、人の居場所を曖昧にするメカニズムを『ダンス・ダンス・ダンス』の語り手はこう語ります。(「世界は村上春樹をどう読むか」p.61)

近い将来、我々もAIとの絆を構築できると、この映画は主張しているわけではない。しかし、将来の隣人としてのAIとの、ちょっとぶっ飛んだ、しかし心温まる物語としてのこの映画を、アニメファンでない人にも勧めてみたいと思ったのは、自分たちも作品や物語によって助けられて、失われた何かを取り戻せるのではないか?と感じたからなのだろう。


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