「謙遜しつつも、狡猾であれ」
「謙遜しつつも、狡猾であれ」
これは、成長に必要不可欠な考え方だと思っています。
「謙遜」という言葉を聞いて、何を思い浮かべますか?
「自信がない」
「相手を尊重するばかりで、自己主張しない」
など、ネガティブなイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。
しかし、「謙遜」の心を持たずして、成長はできないと考えています。
「不遜」の心を持つ人は、自分が優れていると考え、他人を見下す。
「不遜」な人は、既に自分が優れているのだから、他人から何かを学び取ろうという気持ちが希薄になる。
一方、「謙遜」の心を持つ人は、自分は未熟であると考え、他人を尊敬する。
「謙遜」する人は、自分の未熟さを補うべく、他人の優れた部分を吸収しようと考える。
成長余地が大きいのはどちらでしょうか。
答えは一目瞭然です。
ただし、文字通り「謙遜」しただけでは、まだ足りません。ここに、「狡猾」という言葉を加えるのが肝なんです。
「謙遜しつつも、狡猾であれ」というのは
①謙遜の心を持つ(自分の未熟さを知り、相手の優れた点を認める)
②様々な人の優れたところを吸収する
③人の目に触れないところで、研鑽する
④そして、いつの間にか、その他大勢を出し抜いてしまう
ということです。
謙遜の心を持つだけではなく、このような狡猾さを併せ持てば、大きく成長できるはずです。
「自信」を持つことは大切ですが、「傲慢」「不遜」の人になってはいけません。傲りは、成長を阻害します。
「謙遜しつつも、狡猾であれ」という言葉を胸に、私も成長し続けたいと思っています。
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