ウイスキーコーク🍹
こんにちは、Hideです(^_-)-☆
2023年が始まって、早いもので約2カ月が過ぎました。
今年は、これまでとは違った題材の記事を書いてみようかなと思ってます。
これまでHideROCKの中では、恋愛に関する内容は、何故かなかったですが。。。
私も同年代の人に比べ、恋愛経験は少ない方ですが…
奥手だった私は、恋愛関連の話は恥ずかしくて書けませんでしたが、今回初めてお話ししたいと思います。
自由を求め続けるロッカーも恋愛はするんですよ(笑)
恋は風のように~ある日訪れる ダメロッカーの青春時代
子供の頃からダメ野郎だった私は、恋愛においてもフラれてばかりでした。
惚れやすいってこともあり、失恋の数だけ増えていきましたね(笑)
寅さんみたいですね(笑)
高校の時は男子校でしたので、出会いも少なかったし。。。
中学の時、矢沢永吉氏と出会いロックンローラーを志した頃、素敵な女の子との出会いもありましたね。
まぁ~私など相手にはされませんでしたけどね~
当時、俺様キャラだったこともあり、女性に優しくなんて出来ませんでしたしね。
偉そうに上から目線で女の子にも接していたので、好かれるわけはありませんよね(笑)
実は中学3年の時、一つ年下の女の子を好きになっちゃっいまして。
スリムでクールなスポーツ女子って感じの女の子でした。
私と同じ陸上部の娘で、ハードル競技をやってらいて、たしか市の大会で優勝か2位くらいになったと思います。
勿論、話しかける事なんて出来ませんでした。
なので進展なんてありませんでしたがね。
ただ遠くから見ていただけ、まるで村下孝蔵の”初恋”みたいな~
ロックな男にしては、シャイだったんですよ。
あとは、同じクラスの頭が良くて美人な娘も好きでしたね。
演劇部に所属していて、ピアノもギターも弾ける多彩で成績も優秀で、小柄でしたが、グラマーで昭和の女の子には珍しくアヒル口の素敵な女子でした。
どちらかというと、先ほどの年下体育系女子とは異なり文化系女子でした。
毎日のようにちょっかいかけて、アピールはしていましたが、軽くあしらわれてばかりでしたよ(笑)
色んな女の子に惚れてしまうなんて、気が多いのは、昔からだったのですね。
中3の秋に文化祭で歌った時に、同じ学年の女子から告白されたこともあったのですよ!珍しく(笑)
しかし自分もそんなこと言われても、どう応じれば良いかもわからず、好みのタイプでもなかったので、偉そうに断ってしまいました。
10代の娘の恋の思い出として一番心に残っているのは、高校3年の時の片思いの恋でした。
高校最後のライブをやった時の話です。
タイバン(一緒にライブを行う別のバンド、アマチュアなので何バンドか集まってライヴを開催するのです)の二つ年下の高1の女子と知り合いになりまして…
当時こんな美人は見たことないというくらい美人でしたね。
ギター担当で、有名私立女子高に通い、放送部に所属していた品の良いお嬢様系の娘でした。
テレビの女子アナみたいに知的で清楚な雰囲気でしたね。
当時アメリカの人気のゴーゴーズというガールズバンドのコピーを演奏していた…皆同じ高校の同級生で結成されたバンドでした。
自分のバンドメンバーから、彼女の電話番号を聞いて、毎日電話しまくりましたね。
高校になると多少進歩があって、女性とも少しだけ話が出来るようになったのです。
話の内容はたわいもない話しか出来ませんでしたがね。
出会ったのが高校3年の年末位で、年明けから電話をかけまくり、バレンタインデーに、あっけなくフラれてしまいました。
しかし〜当時は携帯電話なんか無い時代に、自宅にしつこくかけたのですから…
今思えばあの執念すごいですよね。
電話すれば、自宅ですから当然母親が出る訳です。
時代を感じるなぁ〜今やテレビ電話までできちゃうんだから〜
結局薬局、他に好きな人がいるとの事でした。
短い片思いの恋は、わずか2ヶ月という短い期間で幕が降りたのでした。
その時に初めてオリジナル曲というのが、出来たのです。
あの失恋がなければ、曲作りを始めることはなかったのですよ。
どの恋も風のように訪れて、波が引く様に消えていったものばかりでしたね。
今では、甘酸っぱくてほろ苦い思い出です。
モテないくせに、女性の好みは贅沢
高校を卒業して、社会人になっても相変わらず女性とは縁の薄い青春時代でしたね。
就職しても会社には、アダルトというか、自分の母親と同年代の熟女(笑)ばかりで、若い女子との出会いは、まず少なかったですよ。
社会人になってから知り合った友人から紹介された、女性と付き合ったりもしましたが…中々、燃える様な恋までは、発展しませんでしたね。
友人のふるさとの女友達を紹介してもらいましたが…
超珍しく自分の事を気に入ってくれたみたいで、15枚もの手紙をもらった事もありました。
しかし、女性の好みに贅沢だった私は、その娘を振ってしまうのでした。
親戚に紹介された女の子もいて、少しの間付き合ったりはしましたが、いまいちピンときませんでしたね、私的に。
モテないくせに、贅沢だったのですね~私は。
良い出会いもなかなか訪れませんでしたね。
他の友人たちが、幸せな恋愛をしているのを見ていると羨ましくて、なんで自分には彼女出来ないんだろうと落ち込みましたわ、さすがに⤵️
本当の恋には、程遠く…
なんだかんだと、本当に夢中になれる恋には巡り合えず、今考えると寂しい青春時代でしたね~自分は…
片思いの恋愛ばかり、一体自分には春はいつくるのだろうか~
なんて自分の不運さを恨んだりもしました。
まずダメダメな私でしたから、恋も上手くいくわけないんだろうなぁ~
と、半分おかしな悟りみたいなものも心の中に芽生えてきました。
短い映画の様なあの季節は、もう帰らない(by:ウイスキーコーク 矢沢永吉)
なんて素敵な恋は、私には程遠かったのですよ。
20代前半は、世の中の景気も良くバブル時代だったので、まぁそれなりに男友達と、楽しんでいましたがね。
恋への憧れを抱きながら過ごした、バブル時代でしたね。
私の恋は、既にバブルが弾けたような感じでしたね。
(^^♪俺たち若かったよな~♪いつも何か追いかけてた~♬
現代では、ハイボールというウイスキーを炭酸で割ったものが大流行しています。
酒離れと言われる昨今、唯一伸びているカテゴリーのようです。
ウイスキーコークというのは、実はコークハイとも呼ばれ、要はウイスキーをコーラで割ったものです。
ハイボールの親戚みたいなものですね。
高校時代にバンドで矢沢の永ちゃんの名曲「ウイスキーコーク」って曲がレパートリーだったのです。
当時永ちゃんのライブでも後半に盛り上がるファンの間でも人気の曲でした。
明るくPOPで、そこまで難しくないので初心者バンドだった我がバンドのレパートリーにしました。
社会人になって組んだバンドでも、演奏してましたね。
恋の出会いの場面で、二人を見つめていたのはウイスキーコークだけさ♪という曲です。
今でもファンから人気が高い名曲ですね。
若い二人が出会って楽しそうに、恋しているのが目に浮かびましたね。
そんな素敵な恋がしたいと思っていましたが…
一番楽しいはずの20代前半の私には無縁でした。
だからこの歌に憧れて、ライブで楽しく歌えたのですね。
私には、不遇な時代でしたが、あの頃を忘れず、これからもウイスキーコークを歌っていく事でしょう(カラオケでも弾き語りでも)
恋に憧れ、素敵な恋のなかったRock'nRollerでしたが…
(^^♪俺たち若かったよな~♪いつも何か追いかけてた~♬
グラスの向こうで 何かが変わった~♪
知ってるのは ウイスキーコークだけさ♬
1975年矢沢永吉 アルバム「I LOVE YOU'OK」収録「ウイスキーコーク」より歌詞を引用
そういうのも、また良いでしょう(^^♪