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音楽との出会い 思春期編 高校時代のバンド活動 Rock’nRoller Hide 始動♪ A面
こんにちは、Hideです(^^)/
今回は、Hide少年が思春期に差し掛かり、様々なジャンルの音楽に触れる様になりました。
感受性が鋭敏になってきた頃の、音楽活動についてお話していきます。
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高校生進学 本格的にバンドをやりたくなる まずはメンバー集めからだ
地元の私立高校に入ったHide少年は、ロックスターを目指すべく中学の文化祭で一緒だった友達とバンドメンバーを探し始める事になりました。
後輩や同じクラスの連中、その他色々なつてに声を掛けたりしたが、中々集まらなかった。
何人かギターが弾ける奴はいましたが、ベースやドラムをやっている人間って、意外と少ないんですよね〜
ましてや40年以上前の事で、ロックもバンドもマイナーな時代。
しかも田舎だし人づてだけでは、バンドのメンバーを見つける事が難しかったのです。
まして周りの知り合いにも、ドラムやベースといったマニアックな楽器をやってる人間もいませんでした。
16歳と若いし、音楽関係の人脈なんてあるわけないし。
ライブハウスなんてあの時代、地方都市にはあるわけない、のが現状でした。
ロック雑誌のメンバー募集欄を見ても高校生でドラムやベースって、私が住んでいる地域にはいませんでいた。
いても大学生とか、歳上のお兄さん達でしたしね。
今のようにインターネットもない時代でした。
アナログでしたよ〜全てが…
仕方がないので、ひたすら家でギターを弾いて歌っていました。
日本にロックが浸透してない時代、色んな意味で苦労しましたよー。
昔の友人からバンド参加の依頼有り 二つ返事でOKするも メンバーはポンコツばかり ダメな奴は即クビ
冬に入った頃、昔の悪友からバンドへの参加依頼の話があり、バンドやりたくてしょうがなかったので、二つ返事でOKしましたよ🎶
メンバーはギター二人とキーボードだけ〜
えっーベースは?ドラマーはいないの?
えっこれってバンドなの?〜みたいな。
バンドとは名ばかりで、結局は探していた時と同じで。揃っていたのは、ギターとボーカルだけ。
前との違いは、キーボードがいただけ(^ω^)
それだって、ピアノが弾ける人間じゃなく、当時流行ったYMOをテレビで観て、たまたま興味だけでシンセサイザーを買って、それまで全く音楽なんかした事無い奴なんです。
シンセ弾かせても片手でちょっと音だすだけで、お世辞にも演奏してるとは言えないレベルのメンバーでした。
自分も下手だけど…仮にも楽器を手にして1、2年は練習して弾いてポンコツだけど、バンドの真似事位はした事あるのに、そいつは音楽に関する経験は0。
それでも、やる気があって、これから勉強練習して上手くなるぞ!
みたいな気合いや空元気すら皆無。
残念過ぎる余計なメンバーでしたよ。
それで、どうしたかというと、2回目位の練習後にクビにしました。
当時の自分だって、歌やギターが特別上手い訳ではなかったけど、上昇思考だけは👦一倍強くて、それを遮る足手纏いになると感じたメンバーは容赦なくクビにしました。
時に取っ組み合いの喧嘩もして。まぁ俺様キャラですよね。
自惚ればかりが先行していて、のし上がってやるんだ!という気持ちだけでしたね。
クビにしたメンバーには、悪い事したなーと今では反省しています。
それでも音出せて歌えるなら仕方ないかって感じで、友人の部屋に集まり下手くそなギターにのせて大声で歌っていたのでした。
一度、近所から苦情が来てしばらくその友達の家は使用禁止になったり。
まあ高校生の頃なんてそんなもんです。
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友達の繋がりから一緒にライブやらないかと誘われる ドラマーもレンタル出来た やっとバンドらしい形に近づく
そうこうして今度は、うちの離れでバンドの練習をやりだしてました。
高校1年の年末に近づいたある日、メンバーの友達繋がりからライブ出演の話が舞い込んできました。
ライブって言っても、所詮バンドを始めたばかりの高校1年生。
技術も経験もほぼなし、ライブってどうしたら良いのかすら、わかってない本当のずぶの素人集団。
メンバーの友人の地元だから、住民割引みたいなので、料金は、ほぼタダ同然。
チケットはあったけど、99円です。まるで100均(笑)
それには事情があって、住民割引は本当なのですが、入場料の金額によって施設の使用料金が決められているのです。
市町村で運営している公共施設ってそんな仕組みになってるのです。
当時高校1年生で世の中の仕組みなど全くわからなかった子供が、初めて世の中のシステムみたいなのに触れた感じでした。
100円以下だと、ただ同然みたいな価格なのに、100円を越えると、桁一つ違ってくるのです。
なのでもし同じ会場で、有名なプロが適正な入場額のチケットを販売して、コンサートを行ったら、何十万円という施設使用料金になるのです。
プロはチケットが売れた収益の中から会場費を支払い、そして演奏するバンドや歌手にギャラを払い、ライブスタッフの給料を支払い、会場設営や撤去、場内警備やグッズ販売スタッフなどのアルバイト料も払うわけです。
そう考えると、やはりある程度の金額のチケットを販売し、客席を満員にする為、アーティストスタッフが力を合わせて頑張るのです。
消費税なんか導入されてない時代ですから、価格がそのままなんです。99円と言ったら、税込もないも99円でしかないのです。
そりゃあ当たり前の話です。
最初から何もかもパーフェクトに出来る人なんていません。
皆スタートはそんなところから始まるんです。
ライブの話の発端は、うちのメンバーが通っている高校の友達がやっているバンドが、地元の公民館で初ライブをやるから一緒にやらないかと誘われた事からでした。
ドラムもその友人バンドのドラマーがサポートでうちのバンドの曲も叩いてくれると言うし。
ラッキーって感じで、即出ることを決めました。
一応、我らはメインじゃないので、前座という形で出さしてもらえることになりました。
メンバーはギターの二人とボーカルが私でドラムはそのレンタルメンバーで借りた友達の友達の4人。
レンタルにしろ、以前よりちゃんと楽器が出来るドラマーと一緒に演奏出来る事は、うちのバンドにとっては、小さな前進でしたね。
その話が決まってから、ライブまでの1ヶ月間冬の寒い中、彼等の地元まで電車で通い、このバンド初ライブに向けてリハーサルに頑張りましたね。
ライブまであと1ヶ月をちょうど切った頃、ギターの1人が部活で怪我をしてギターが弾けない状態になりました。
しょうがなく、中学時代文化祭で一緒だったギタリストをサポートで迎え、なんとか初ライブには間に合わせる事が出来ました。
もうバンドを結成したいのと、何でも良いから人前でライブをしたいって気持ちが強かったから、どんな困難があろうとこのライブだけはやりたいと強く思ったのです。
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バンド結成してデビューLiveは前座 16歳のBIRTH DAY 杜の都のRock’nRoller伝説は、日本三景の松島から始まった🎵
ギタリストを怪我で欠くというアクシデントを乗り越えて、なんとか初ステージに立つ日が迫ってきました。
初ライブが出来るという、嬉しさとやるぞ!という気合いで溢れていましたね。
毎週日曜日に遠くまで行ったリハーサルも頑張ったし、会場の下見までしに行きました。
高校生のくせに生意気に会場スタッフから、設備等を色々説明してもらったりもしました。
前座とはいえ、初ライブに向けてとにかくやる気充分でしたね。
しかし、ライブの三日前位から、私の体調が悪くなりました、熱がら上がり、咳も😷酷くて〜
そう冬の定番、インフルエンザにかかってしまったのです。
病院には行きましたが、現代の様にタミフルやリレンザみたいな、即効きがわかる特効薬がまだ普及してない頃でした。
普通の風邪薬飲んで、熱を覚ますためひたすら額を冷やし、寝てるしか治る術は無かったのです。
熱は38℃を超えるし、勿論学校なんていけなくて休んでましたよ。
うわー初のライブが出来ないのか〜って悔しくて…
でも体は熱があっと、咳も😷ゴホゴホ出て、歌なんか歌える状態じゃなかったです。
もう、こんな状況では無理だなと、諦めかけました。
前日には、少し熱も下がり、多少楽にはなってきました。
メンバーの後押しと、友人のフォローもあり何とか、やることにしました。
しかしながら、寒い大寒の時期の日曜日、暖房なんて効いてない大きな体育館。
インフルエンザにかかっている人間には、あまりにも過酷な環境でした。
まして、場所が海のすぐ近くだから、外の気温は低いし、体育館も暖房入れてないから(暖房は高額の別料金を取られる)まるで冷蔵庫みたいにひえてました。
1980年、地球がまだ温暖化するまえの時代だから、冬は冬らしく東北は特に寒かったのです。
観客なんて、友達関係のせいぜい10人くらいとその家族関連みたいな、あと勝手に入ってきた地元の子供たち〜⁇なぜいる?
前の週からの、インフルエンザの影響もあり、その日のことなど何にも覚えていない。
ひたすら楽屋で会館の石油ストーブの前で震えていました。
それも最悪なことに誕生日ですよ16歳の、そんな日に高熱、大勢の観客なんて最初から期待してないけど〜
こんな広い会場にこんな観客数(笑)
発熱による頭クラクラでマイクスタンドにしがみつくようにして歌った記憶しか残ってないです。
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*しかし、この写真見ると今に比べてかなり痩せていますね。
なにせ43年前の事ですからね、当時16歳。
という事は私もデビュー40年を超えた事になるんですね(笑)
中学の時、400人を前に歌って調子にのってスターになるとか勝手に思っていたのに~
これが現実・・・結局前座で3曲とお情けアンコール1曲の計4曲でバンド初ライブを終えたのでした。
しかし、ドラマーはレンタル、ギタリストは本番近くに怪我して代役とチェンジ、ボーカルは本番当日にインフルエンザで38℃の高熱。
杜の都のRock'nRollerの船出は、本当に険しいものでしたね。
様々なアクシデントを乗り越え、やったことに意義があったかなぁ〜と感じてます。
青春の良い思い出だし、これがHideの伝説の始まりだったのです🎵
16歳のバースデーライブは、良くも悪くも思い出深いものでした。
その後の高校時代のバンド活動は、次の機会にお話しします。
りがとうございました。
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