日本のROCKヒストリー
こんにちは、Hideです(^^♪
今日の杜の都は、昨日の最強寒波が一旦落ち着き快晴です。
まだ気温はやっとプラス温度ですが、太陽の陽がさして積もった雪が解けてきました。
今年は、ここ数年に比べ”東北の冬”という感じで冬らしくて寒いです。
今回は日本のロックの歴史みたいな事を、私なりの見方で書いていきたいと思います。
1960年代頃からビートルズの影響を受けた日本の歌手たちが、プレスリーの様なスタイルやグループサウンズといったバンド形式のグループが出てきたのがはしりになったのでは…と感じています。
演歌や歌謡曲が主流だった昭和の時代から、日本のロックがどんな形で生まれ、現代まで育ってきたのでしょう。
そこら辺を私の観点から紐解いていきたいと思います。
日本のロックは外国の真似でしかなかった
1962年、ビートルズがデビューし、全世界を席巻しました。
もちろんエルビスプレスリーやチャックベリーといったロックンロールの大御所たちのあとに誕生したビートルズですが、それまでのロックをより聞きやすく、独特のマージ―ビートと言われるサウンドで世界の少年少女たちを虜にしました。
その影響も日本に伝わり、有名な歌手たちが、その雰囲気を取り入れたりしていました。まぁ単純に言うと物まねみたいな感じでしたね正直。
その後ビートルズが出てきて、かまやつひろしさんや堺正章さん沢田研二さんなどが、バンドでデビューしました。
それが1960年代のグループサウンズブームです。
後に、「必殺仕事人」の音楽を担当し、作曲家として他にも多くのヒット曲を生み出し成功した平尾昌晃さんが、衣装やスタイルをプレスリーに真似て歌ったりしてたようです。
見た目の格好は似た感じでしたが、私が聴くとやはり、日本の歌謡曲の域を脱しているGSバンドはいませんでしたね。
タイガースの沢田研二さん等は、声もルックスも良く歌唱力もありましたが…
ロックという曲やサウンドには程遠いといった感じでしたね。
私は生まれる前でしたので、リアルタイムでは見ていませんが、母の話やTVでの昔の映像からだと確かにそんな風にパフォーマンスしていましたね。
当時の日本のロックみたいなものは、ただの流行りに乗ろうとした物まね程度のものでしかありませんでした。
GSと同時代にベンチャーズが流行しエレキブームが訪れました。
日本でも寺内タケシとブルージーンズといったバンドが出てきましたが、あれは結構格好良かった方だと思います。
内田裕也さんも歌っていましたが、ロックは英語で歌うものと言ったポリシーがあり、外国曲のカバーしかやりませんでした。
その頃はそんな感じでロックというのは、外国の流行を真似た程度のレベルの物ばかりでした。
後に成功する歌手もGSの中のメンバーにはいましたが、当時はそんな感じだったようです。
1970年代に入り、ヒッピーブームとともに、日本でもフォークソングが流行りだしました。
若くて貧困な生活を描いたもので、四畳半フォークなどと呼ばれ長い髪でフォークギターを弾き語りするスタイルが大流行しましたね。
その頃は私も生まれていたので、うっすらではありますが記憶にあります。
生活感があり、身近な出来事をテーマにしたフォークはかなり多くの人に受けたようでした。
貧しい学生生活を歌ったフォークが、多くの若者の心を掴んだ時代です。
1970年代中盤、井上陽水さんがアルバムを150万枚売れ長者番付で1位になったくらいでしたからね。
陽水さんは、他のフォークソングとは違い何か、人間の心の奥にある深い部分を歌っているのは、少年だった私でも感じられました。
あの方はやはり自分の世界をしっかり持っているミュージシャンですね。
ここまで聞くと日本ってロックが受け入れられる感じは全くないですよね。
ロックを好きなだけで、世間から不良に見られ肩身の狭い思いでした。
私が中学の文化祭で学校初のロックをやった1979年ですらそんな感じでしたから、日本のロックはまだまだ市民権を得ていなかったのです。
海外ではロックというと、マリファナなどドラッグとつながりがあり、確かに悪いイメージはぬぐい切れない面がありました。
その不良っぽさが逆に格好良いみたいなところもありましたね。
世間に背を向け反骨的なところも…
でもイギリスでは、世界中から音楽で外貨を稼いだビートルズは、エリザベス女王から勲章をもらっていましたね。
日本と外国の考え方の違いでしょう。
まだまだ世界からは遅れていたのでしょうね。
島国根性の根付いた日本は、まだまだグローバルな思想は無かったのですよ。
それが60年代~70年代の日本のロックの状況でしたね。
1972年、日本のロックを変えたCAROL 現代まで影響を与えている
海の向こうのロックの真似だった60~70年代の日本の音楽シーンの中、突然革ジャン姿で現れたのがCAROLでした。
皮の上下に髪はポマードで固めたリーゼント。
長髪のフォークが全盛の頃、全く反対のスタイルで現れたバンドがCAROLでした。
当時22歳だった矢沢永吉を筆頭にジョニー大蔵。内海利勝、ユウ岡崎といったビートルズと同じ4人スタイルのバンドでした。
音楽的にすごいのは、ノリが完全にロックンロールでしかもPOPでキャッチ―で聴きやすく、それまで永遠のテーマだった”ロックンロールのリズムには日本語は乗りにくい”といった難問を打ち砕いたのもこのCAROLでした。
今では当たり前のように歌われていますが、日本語の歌詞の中に英語が混じっているのを最初に日本でやったのはCAROLでした。
まぁこれは、最初歌詞が英語だったのを和訳した時に、うまくメロディーに乗らない部分を英語のままにしたという単純な理由だったようですが、それが凄く格好良く感じさせてしまうCAROLでした。
矢沢永吉氏とジョニー大倉氏のツインボーカルは、まさにビートルズのポールとジョンの様でした。
今観てもカッコよく感じますもんね。
ジョニーさんはすでにお亡くなりになりましたが、その歌詞に関しては矢沢氏もジョニーの才能を高く評価しています。
まさに日本のロックの歴史を変えたと言っても良いバンドがCAROLだったと思います。
しかし、これもまた不良のファンが多く、ライブ会場では喧嘩が起こったり、会場の備品を壊したりと問題が多かったのも確かです。
わずか2年半という活動期間ですが、日本のロックシーンに大いに影響を与えたバンドでしたね。
もちろんキャロルだけじゃなく、宇崎竜童さん率いるダウンタウンブギウギバンドなど他にも、後の世代に影響を与えるロックミュージシャンもおられました。
それでも世の中からロックはまだまだ認められませんでした。
日本のロックをメジャーにした矢沢永吉
そんなCAROLが流行っても、相も変わらず一般大衆に受けていたのはフォークソングでした。
その後1977年あたりから、世良公則&ツイストやゴダイゴなどが出てきて、いわゆるニューミュージックブームが到来しました。
今で言うJPOPみたいなものです。
フォークやロックをひっくるめてニューミュージックと当時は呼んでいましたね。
まだまだロックは不良というレッテルは付きまとっていました。
そんな1978年矢沢永吉氏の曲が資生堂のCMソングに起用されました。
あの老舗の化粧品メーカーが矢沢氏にCM依頼をするなんて当時ではかなり画期的な事件でした。
夏の浜辺を連想させる渋いバラードで、おしゃれなCM映像によく合っていました。
その「時間よ止まれ」がミリオンヒットとなり、矢沢永吉というシンガーが大衆に聴かれることになったのです。
当時TVには出演せず、ひたすら町から町へのコンサートツアー活動が中心でした。
自叙伝の「成りあがり」もベストセラーになり日本のロック歌手で初めて、日本武道館や後楽園球場(現在の東京ドーム)でライヴを行い、長者番付でも大御所たちを抑えて1位になり、一躍スーパースターになりました。
そんなスターダムにのし上がったというか成り上がった矢沢氏でしたが、世間の見る目はまだまだ冷ややかでしたね。
暴走族の親分みたいに大人たちからは思われていました。
ロックは不良がやるもの観るもの、といったイメージは消えませんでした。
それより矢沢氏のライヴ会場で起こる喧嘩や備品の破壊が激しくなり、より一層ロックのイメージが悪くなりました。
当時ファンも若かったし、どうやってロックのコンサートでノッたら良いかわからなかったのでしょうね。
しかし、日本のロックに対しての注目度が上がってきたのは、肌で感じていた私でした。
だって以前から比べると、日本のロックを聴く人が、どんどん増えているのです。
レコードも売れてきたし、コンサートの集客も同じく増えていました。
やがて来るロックブームの幕開けの様な時代でしたね、70年代後半~80年代前半は。
今やロックは皆から聴かれる音楽 特に異質なものではなくなった
80年代中盤から後半90年代は一番日本のロックが盛り上がった時代でしたね。
それからジャパニーズロックが、定着していったわけです。
Boowyやプリンセスプリンセス、尾崎豊等々多くのロックシンガーバンドが超活躍していました。
長くなるので詳しい話はまた別の機会にさせていただきますが~
”盗んだバイクで走りだす~♪”みたいな歌詞まで出てきて、若者たちの熱い心はロックへと魅かれていくのでした。
現在2022年ですが、ロックを聴いていて不良だとか言う大人はいなくなりました。
もうすっかり市民権を得て定着したと言っても良いですね。
ミスチルなんて、いまやカリスマ的バンドですよね。
ロックバンドが紅白歌合戦に出場して、レコード大賞でもグランプリを獲る時代になりました。
長く険しい道でしたが、諸先輩たちの反骨精神とロックスピリッツのおかげだと、ロックのシンガーソングライターの私としては、非常に感謝しております。
これからも沢山のアーティストが良い音楽をアウトプットしてくれることを大いに期待しております。
"Rock'n Rollに感謝しよーぜ” よろしく!(笑)