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TAKANAKA ギター一本で多くのオーディエンスを魅了したギタリスト
こんにちは、Hideです🎵
今年初の投稿になります。
本年もよろしくお願い致します。
遅くなりましたが、1月1日の能登半島地震で被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
私も東日本大震災を経験した者として、皆様のご無事と早期の復旧復興をお祈りしております。
2024年の一発目は、エレキギターという楽器に興味を持たせてくれた日本の有名なギタリストを紹介します。
皆さんは、高中正義さんというギタリストをご存知ですか?
私と同世代だと、聴いてたよ〜高中🎵って人も多いんじゃないかと思います。
高中に出会ったのは、中3の時です。
井上陽水のアルバムに参加したり、インストゥルメンタル(歌のない音楽)アルバムをリリースして、武道館でもライヴをやったんですよ。
ライブでは、ギター1本でオーディエンスを総立ちにしたんですよ。
もちろんバックバンドはいますけどね(笑)
今回は、私がエレキギターを弾くきっかけになった、高中正義さんについてお話しします。
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ファンキー高中からトロピカルTAKANAKAへ
ざっと高中正義さんのプロフィールを紹介します。
1953年3月東京都出身で高校生でプロデビューして以来、日本のロックとフュージョン界で現在も活躍する、日本を代表するギタリストです。
高校在学中、府中の米軍基地内のクラブで、グランドファンクレイルロードやジミーヘンドリックスのコピーバンドで演奏をしていた。
高校時代、ひょんなことから、観に行ったライブ中に代役としてステージでギターを弾いたのがプロ入りのきっかけになったそうです。
その後、岡林信康や成毛滋とつのだ☆ひろが在籍するストロベリーバスのサポートメンバーを務めます。
そしてバンド名をフライドエッグに改称した時に、正式メンバーとして迎られるが高中の意に反してベースを担当させられたそうです。
成毛滋から、音楽理論やギター奏法の基礎を叩き込まれる。
フライドエッグ解散後、加藤和彦率いるサディステックミカバンドに参加し、本格的にプロギタリストとして活動する様になる。
1975年ミカバンド解散後に、残った高橋幸弘・後藤次利・今井裕らとサディスティックスを結成。
翌1976年に初のソロアルバム『SEYCHELLES』を発表、以降サディスティックスとソロの活動を並行して行う。
それぞれのメンバーがソロの活動が中心となっていった為、自然消滅するように1978年に解散していった。
サディステック解散後に、ソロとして毎年1〜2枚のペースでアルバムを発表していきました。
ミカバンドやサディスティックスでギターを弾いていた頃は、ロック色が強くファンキーなフレーズが多いことから”ファンキーTAKANAKA”と呼ばれていました。
自作したギターインストゥルメンタル曲で構成されていた為、当時流行し始めたフュージョン系の曲が多かったです。
当時、夏の雰囲気を出したトロピカルブームが相まって、早くから若者層を取り込んでいった。
このLIVE演奏ですが、アルバム制作の為、スタジオレコーディングの際にFenderストラトキャスターを使用していたそうです。
非常にスタジオ版に近い音色になっていると私は感じています。
しゃがれたストラトの音は、SGよりもドライブ感を感じさせてくれますね。
私も高中の真似をして、YAMAHAのSG800を購入しましたが、綺麗で繊細な音を出してくれますが、ROCKの荒々しさという意味ではちょっと違うかなと感じました。
1979年代表曲「BLUE LAGOON」が収録されたアルバム「JOLLY JIVE」を発表し、日本武道館で行われた井上陽水とのジョイントライブで人気が爆発しました。
そのLIVEの模様も、「スーパーライブ TAKANAKA」のタイトルで発売され、ヒットしました。
私も友人から借りて、カセットテープにダビングして何度も聴いたLPでした。
高中のギタープレイもファンキーなロックから夏を爽やかに感じさせるトロピカルサウンドへと変化していったのです。
日本のソロギタリストとしては初めて 観客を総立ちにさせたTAKANAKA
高中のブレイクのきっかけとなったのは、1979年発表の井上陽水のアルバム「スニーカーダンサー」において、アルバムタイトル曲の作曲とアルバムの半分の5曲で編曲を担当した事が大きかったでしょう。
演奏においても全10曲中8曲でギター演奏もしています。
「JOLLY JIVE」のヒット以降、1981年にコンセプトアルバム「虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS」を発表し、日本レコード大賞企画賞を受賞。
中学3年の時に、テレビCMで高中本人が出演して、ストラトキャスターを弾いてた「BLUE LAGOON」が、爽快なイメージで、あの頃の私には新鮮でしたね。
その曲が収録されたアルバム「JOLLY JIVE」も友人からレンタルしてカセットにダビングしてよく聴きました。
それまでは、歌の無い曲って、映画音楽くらいなもので、ブルスリーやゴッドファーザーをFMで聴いていたくらいでした。
たまには歌いますが、ほぼギターソロで構成されていて、何か聴いてるこちらを惹きつける魅力を感じましたね。
虹伝説ツアーはアルバムの世界観を再現した大掛かりなセットの演出で反響を巻き起こしました。
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このツアーは、私も地元のホールで観ています。
1982年にアルバム「SAUDADE」が、初のオリコンアルバムチャートで1位を獲得。
当時は、ギター一本で日本の音楽界のトップに立ったという衝撃的な出来事でした。
観客が歌のないギターソロの演奏だけで、全員総立ちになるのですから凄かったですよ。
ベンチャーズだってあそこまでは、観客を熱狂させられなかったし。
高中のギターは、歌っているようには聴こえてくるところが、凄いですね。
私が記憶しているミュージシャンで、ソロギタリストのライブで総立ちというのは、それまで聞いた事も見た事もなかったし、その後にもそういうアーティストは、布袋寅泰さんくらいかな、でも彼はしっかり歌も歌いますからね、基本。
現在では、ライブ中の事故を防ぐ為、ステージ前に観客が押しかける事は、安全上なくなりました。
80年代初頭は、ロックやフュージョンなどこれまでには大衆的ではなかった音楽が受け入れられ始めた頃で、演奏するアーティスト側も盛り上がっている状況をどうしたら良いかもわからなかったのでしょうね。
それだけ、日本においてはROCKとか、外国から輸入された音楽は、未知なものだったとも言えるでしょう。
オーディエンスとして、その渦中にいた私がそう感じるのですから…
その後、ライブ中に床が抜けるなどの事故がどこかの会場で起こったりして、徐々に運営サイドも厳しくならざる終えなかったのです。
今考えると、高中に限らず当時のライブは熱かったな〜と感じます。
話はずれていきましたが〜
これからロックやこれまで受け入れられなかった音楽が、未来に向けて光の道が広がっていく様に感じられましたね。
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80年代ソロのギタリストとして、TAKANAKAサウンドを確立していった
ソロギタリストとして活躍の場を広げ、昭和の歌姫であった中森明菜への楽曲提供なども行っていました。1984年発売の「十戒」などです。
トロピカル路線から、音楽的にも幅を広げていきましたね。
現在でもYouTubeでも、昔のライブや最近のものまで、観ては懐かしく感じ、また新たなアレンジでお馴染みの曲を聴くのも楽しいです。
個人的には、高中がボーカルをしている高橋ユキヒロ作詞の「トーキョーレギー」が好きです。
あのサビのなぜか哀愁が漂いながら流れていくメロディーラインが良いです。
あと何と言っても「READY TO FLY」は大作であり、代表曲の一つです。
弾むような疾走感あふれるナンバーですね。8分以上ですが、飽きさせませんよね。
村上ポンタ秀一氏等の一流ミュージシャン達とのセッションはかなりの見応えがあります🎵
他には「珊瑚礁の妖精」なんて、まるで夢の中で海中を漂っているみたいで、当時は寝る時に聴いていました。
「渚・モデレート」は、渚とタイトルにはありますが、気だるさの中に都会を離れて海を訪れた男女のやるせなさや切なさを感じます。
現在70歳を迎えても衰える事なく演奏する高中は格好いいですね。
YAMAHA SG2000の音色が、泣かせてくれますね〜名曲です。
昭和が生んだスーパーギタリスト高中正義さん、これからも聴いていきたいと思います。
ありがとうございました。