言い訳せずに本読めよ
中国人と日本人とで同じくらいの社会的な立場の人と公私問わずあるテーマについて議論をすると、だいたい中国人との方が深い会話ができる。だいたいというのは、自分個人の経験をベースとしているということね。
深い会話というのは、議論のテーマ設定そのものと、そのテーマについてのある仮説の論旨について筋が通っていることと、互いの仮説についてその論旨や根拠そのものを交換しながら進めていくことができる、ということ。
僕とTTの夕食時、後の会話を見るとみんなびっくりすると思う。
僕と彼女の会話は、日本語と中国語とたまに共通の外来語としての英語単語が入り混じりながらも、一切途切れることなく進んでいく。そう、このテーマ、中国人と日本人との議論力、思考力の会話から始まり、その理由としての中国と日本の環境の違い、更にはそこに時間軸が入って、TTの頃と今現在の中国人の子どもにおける環境の違いと、それが与え得る負の影響みたいなところまで、グルグルドーンと進んでいく。
そのまま論に入ろうか。
全体として中国人の思考力が日本人のそれよりも優れているという仮説についての論拠として、TTはこういうことを言った。中国は日本よりも生きていく上での課題が多い。その中で、最終的には一人で頑張って生きていくしかなかった。日本は会社も含めて安定した組織がある。それが大河のように同じ速度で同じ方向に流れていて、それに従っていれば安心・安全は手に入る。だから、考えることをしなくても生きていける。
議論は更に進む。
今の中国人の子どもたちの環境は彼女の幼い頃とは違う。猛烈な受験戦争の中で、子どもの環境は親次第。家庭によってそもそもスタートラインが異なるという矛盾を抱えつつ、子どもは親の与える環境に黙って従い、言うことを聞くしかない。結果として、自分の人生を自分で切り開いていくという感覚がなくなり、親や家庭環境のせいにする、いわゆる他責の感覚が普通になる。
近くて遠い大国の子どもたちも、社会的圧力によって自らが考える能力を失いつつある。
一方で日本。インターネットテクノロジーの発展によって、生きていく上で必要だったり、人生を豊かにするために必要な知識、知恵、教養はネットでほぼ無料で手に入るようになった。分厚い哲学書や、思考に関する本を、10分前後で要約するYoutuberがいて、それを見ればたやすく手に入るのだ。
しかし、自分の実感値として、若い人と議論をしていて、そもそもある主題や仮説について議論をするという行為における深みがどんどん減っているように感じる。彼、彼女たちはほぼ無料で知識、知恵、教養を手にする環境に身を置きながら、それを消費することはすれども、消化して血肉にしない。
人の知識、知恵、教養を借りて、他責で生きる。
そんな人生が面白い?
議論してる?
延々と続いていく議論で、脳が喜んでる瞬間って最近ある?
議論して、相手の中にまで入っていく感覚、感じたことってある?
みんなできる力を持ってるよ。
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