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クライ・マッチョ/クリント・イーストウッド監督

クリント・イーストウッド監督の「クライ・マッチョ」を見る。

クリント・イーストウッドは、いわゆる「アメリカン・ヒーロー」を、あるいは「アメリカ」という国について描き続ける映画監督だが(いやネルソン・マンデラも描いていたか…)、やはりイーストウッド本人が主演し監督する映画というのはまた格別である。1930年生まれだからすでに90歳を超え、今回が最後だと言い続けながらも未だ平然と主役を張り続ける超人で、つまりまあ、きっと自分はクリント・イーストウッドのことが大好きなのだ。別格なのである。

さて、「クライ・マッチョ」(原題も「Cry Macho」)というのは変わったタイトルだが、テキサスの元ロデオスターだったマイク(イーストウッド)は、元雇い主のハワード(ドワイト・ヨアカム)、彼のメキシコに住む13歳の息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)を「奪還」して来るよう依頼される。典型的なロードムービーである。広大な風景はオレンジ色に染まり、そこはかとなくマイクという男の人生の黄昏時を暗示する。並走する群れをなす馬。美しい風景。

すでにラフォは、酒浸りでパーティに明け暮れる母親の住む豪邸にはおらず、ストリートで闘鶏の鶏と暮らしていた。ラフォは仕込んだ雄鶏にマッチョと名付け、本人も「男らしさ」に憧れている。マイクはラフォの行動に手を焼きながらも、とはいえ、まだほんの子どもでもある彼を優しくいなしていく。なにしろマイクこそ元祖マッチョなのだから。

さて、母親からすればラフォの逃走は「誘拐」であり、当然二人は追われる身となる。国境に向かう道すがら小さな村で、女手ひとつで食堂を切盛りするマルタ (ナタリア・トラヴェン)と出会う。車の故障で足留めを余儀なくされる二人だが、そこでラフォは生まれて初めて「安らぎ」を覚え、またマイクはラフォに自分の過去を語り、人生に於ける「男らしさ」の不毛について解く。

エンディングについては、現代のジェンダー基準からすれば突っ込み不足のような気がしないでもないが、原作が1970年代の小説で、設定自体が1978年だとすれば、そのプロットは頷けないこともない(かな)。マイクもイーストウッドの実年齢ではなく、おそらく50代後半くらいの男の設定なのだろう。これはおそらく「ミリオンダラー・ベイビー」のフランキーでも同様なのだが、だが見る方としてはどうしても主人公の姿にクリント・イーストウッド自身を重ねて見てしまう。今回も彼のの乗馬シーンなど、涙無しでは見られないのだ。不思議なことである。


監督:クリント・イーストウッド  
出演:クリント・イーストウッド | エドゥアルド・ミネット | ナタリア・トラヴェン


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hideonakane
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