「ソビエト時代のタルコフスキー」より『僕の村は戦場だった』
2021-02-01鑑賞
近所のミニシアターでアンドレイ・タルコフスキー監督の『僕の村は戦場だった』を見ました。タルコフスキー監督の長編第1作(1962年制作)ですね。「ソビエト時代のタルコフスキー」という昨年末のアップリンク企画で、渋谷で見逃した作品を追いかけて来た映画ファンらしき姿が散見されます。客席も半分近くまで埋まっていました。今回から5回連続で特集を紹介していきます。
なかなか難しい映画なのですが、イワン少年の回想シーンと思われる映像から一転し、画面が暗転したところにタイトルロールが流れます。対岸の敵地(ドイツ軍)の偵察の任務から自陣に辿りついた「少年」の態度を訝しがる大隊長ガリツェフ上級中尉。イワンに言われるままに電話で取り次ぐと、翌日司令部から旧知らしいホーリン大尉がイアンを迎えにやって来ます。
両親と妹を亡くて孤児となったイアンは、幼年学校に送られることを頑なに拒みます。そして復讐を誓うイアンが再度偵察として敵地は送られるところまでが物語となっているのですが、「戦争」の話ではあありながら実際の「戦闘」は描かれません。イワン少年とガリツェフやホーリンとのやりとり、それからイアン自身の回想シーンを通して、次第に物語の深い部分へと誘われていきます。
ちょっと「不思議」な登場人物として、衛生兵のマーシャという大きな瞳が印象的な女性が出て来ます。「不思議」というのは、映画の構成上はいかにも扱いが大きく、ホーリンやガリツェフに対しては関係を織り込んでいるにもかかわらず、イアン少年とは一切「接点」を持たないところでしょうか。おそらくマーシャは母親または妹の「代理」として描かれていて、だとすれば、実はガリツェフもホーリンもイアン少年の「代理」であるという解釈もあり得るかもしれない。最後のシーンで、ガリツェフがイアン少年の死を確認するのも、あるいはそういう意味なのかもしれない。
それにしても美しい画面ですね。瓦礫として残った門扉や、墜落し地面に刺さった戦闘機でさえも十字架に見えます。構図的に計算された固定画面の中をどのように人物を移動させるかが見どころです。それだけでも感情が揺り動かされますね。海岸を走るトラックの荷台から林檎がこぼれ落ちる。落ちたリンゴを馬が喰む。イアンと妹を乗せたトラックが遠ざかってゆく…。よくまあ、こんな画面が撮れるものだと感心しきり。
監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:コーリャ・ブルリャーエフ | ワレンティン・ズブコフ | E・ジャリコフ
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