百年の夢/ドゥシャン・ハナーク監督
ドゥシャン・ハナーク監督の「百年の夢」を見る。1972年に共産党政権下のスロヴァキア共和国で製作され、1988年までの16年間、輸出禁止とされていたドキュメンタリー映画だ。スロヴァキアの辺境の地に住む老人たちの日常と、彼らの言葉を集めたこの映画は、日本では翌年の第一回目の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された後、92年に劇場公開されたという。今回はデジタルリマスターで30年ぶりの公開となる。
随分と古い話となってしまったが、ソビエト連邦がペレストロイカを始めたのが1985年。映画の公開は、チェコスロヴァキア共産党にしても改革の機運が高まった時期ではある。翌1989年がビロード革命だ。
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映画の話に移る前に、普段私の映画記事に興味を示さないであろう美術方面の方々も、とりあえずは目を通して欲しいのだが、マルティン・マルティンチェク(Martin Martinček 1913–2004)というスロヴァキアを代表する写真家について見ておこう。この映画ではマルティンチェクの写真が使われているのだが、映画のスチルとは別物である。そもそも当時の共産圏については知り得ないことばかりで、日本語では検索にすら引っかからないマルティンチェクの写真がまた素晴らしいのだ。以下の記事を読むと50〜70年代、ハナーク監督の映画に先駆け、この地で老人たちの写真を撮り続けていたことがわかる。
直接の関係は無いが、例えば我々のよく知るチェコの写真家、1968年の「プラハの春」を撮ったジョセフ・クーデルカ(1938年〜)は、マルティンチェクよりは世代的にだいぶ下になる。「歴史」を記す動的なフォト・ジャーナリズムは重要ではあるが、マルティンチェクのような静かな抵抗もまた顧みられるべき眼差しではある。
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さて「百年の夢」。刻まれた皺。マルティンチェクの写真から解放されるように、老人たちは語り始める。そこがやはり写真と映画との大きな違いなのだが、向けられたハナーク監督のマイクに対し、とつとつと自分は何者であるかを語るのである。何というか「生きる」というのは「死」に向かう者の孤独の中にだけ存在するのではと彼らを見て想像する。物語は無い。なぜを当局が映画を輸出禁止にしたのかよくわからないが、あるいは労働が生産と結びつかない事実に敏感になったのかもしれない。こうなると共産主義もなにもかもが形無しである。もっとも自由主義経済も結局は同じ道を辿ってはいるけれど。
ハナーク監督の映像は、劇映画と見間違うほどの完璧なショットとその美しい繋ぎでできていて、何か永遠の時間をも感じさせようが、とはいえ、現在ではこの映画の登場人物のほぼ全てが亡くなっているはずである。人生はまた劇中のからくり人形のようでもあり、バグパイプの音に追われる羊のようでもあり、火の灯された多数の蝋燭のようでもあり、まことに不思議な時間の感覚が捉えられた映画でもある。