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ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選2024

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の傑作選。37年の短い生涯で40本以上の作品を手がけたという。時代を走り抜けたというか…。

37歳は夭折ではないかもしれないが、ファスビンダー(1945〜1982)がニュー・ジャーマン・シネマを代表する「才能」であったことは、今回上映の3本からも十分伝わってくる。ヴィム・ヴェンダースが同じ1945年生まれ、フォルカー・シュレンドルフ(1939〜)は少し年上か。ファスビンダーはヌーヴェルヴァーグから影響を受けているが、ゴダールが1930年生まれである。

今回の「自由の代償」(1974年) 、「エフィ・ブリースト」(1974年)、「リリー・マルレーン」(1980年)と見てくると、様々なジャンルを横断するファスビンダー像が伺えるが、各々の映画の背景に愛への渇望が見え隠れするのは、彼が裕福な家庭に生まれシュタイナー学校で教育を受けるような育ちの一方で、6歳で両親が離婚したことが彼の人格形成に影を落としているからではないか。

3本のうち、最初に見たのが「自由の代償」だが、映画ではファスビンダー監督自身が同性愛者の主人公フランツを演じている。これを見たか見ないかで、残りの2つの映画の評価が変わるだろう。ファスビンダーはバイセクシュアルのようだが、男女間では普通にありうるだろう関係性をずらすことで見えてくる「やるせなさ」が、3つの映画に通底するテーマと言ってよいかもしれない。それは人を支配することの暴力性が形を変えたものでもある。

見世物小屋一座の主人が逮捕され役者の仕事を失ったフランツは、再起を期して(?)購入した「宝くじ」が大当たりし大金を手にする。金持ちの出入りするゲイ・サークルに入り込み、そこでオイゲン(ペーター・カテル)と出会い彼を見初める。オイゲンは父親の経営する印刷工場の御曹司で粗野な育ちのフランツを嫌っていたが、フランツの大金に翻り恋人を振って二人で同棲を始める。

フランツはオイゲンの父親の工場の不渡り精算したばかりか、彼に新車を買い与え、二人の住む高級マンションを購入し、アンティーク家具も揃える。だがオイゲンの方はマナーも教養も無いフランツのことが次第に疎ましくなる。工場が再び危機を迎えると、フランツはオイゲンを繋ぎ止めようとマンションの名義を彼に譲り、それを担保に金銭を工面するよう伝えるのだが…。

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「エフィ・ブリースト」は先の「自由の代償」と同年の作で、19世紀ドイツの作家テオドール・フォンターネの同名小説(邦題「罪なき罪」)が原作の、モノクロームの美しい映画だ。

地方貴族のひとり娘、17歳のエフィ(ハンナ・シグラ)は、20歳も年上のフォン・インシュテッテン男爵(ウォルフガング・シェンク)に見初められ、結婚する。出世欲が強い彼は、魅力的だが自由奔放に振る舞うエフィを「躾け」、「家」に縛りつけようとする。田舎暮らしが馴染めないエフィは、男爵の留守の間に彼の友人クランパス少佐と浮気をしてしまう。数年後、とあることからエフィに宛てたクランパス少佐の手紙が発見されてしまう。

狭いスタンダード画面を左右に横切るように移動するエフィをカメラは捉えながら、随所に配置された鏡を通してエフィと男爵の心理状態を描写する。浮気がバレた後の、崩れゆくエフィをめぐる描写が秀逸だが、貴族社会の制度の間で「圧死」する女性を現代的な視点から描いている。

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「リリー・マルレーン」は、第二次大戦下のヒトラー政権下のドイツで、敵味方を超えて(!)愛された名曲だ。戦場の兵士の故郷の恋人への思いを歌ったのはララ・アンデルセンという歌手なのだが、映画はファスビンダー監督による目の覚めるような翻案で、ドイツ人の歌手ビリー(ハンナ・シグラ)とユダヤ系スイス人のロバート(ジャンカルロ・ジャンニーニ)の愛の顛末についてが描かれている。

音楽家のロバートはドイツに住むユダヤ人のスイスへの逃亡を助けるエージェントだ。経緯を知ったビリーは、彼の「支え」となるべく活動への同行を申し出るが、彼の家族はビリーを疑い(あるいは嫌い)、息子ロバートとの仲を引き割いてしまう。

ビリーはナチスの文化長官ヘンケルスに気に入られ、彼女の歌う「リリー・マルレーン」は前線の兵士の心を捉え大ヒットする。歌の「躍進」を、書き割りのような戦場で命を落とす無名の兵士をシンクロさせるあたりが、ファスビンダー監督の真骨頂だろう。ドイツで富と栄誉を得たビリーはそれでもロバートのことを愛し続け、またロバートの方も彼女に会いに来たベルリンで拘束されてしまう。(おそらく史実ではないだろうが)驚くべき方法でビリーはロバートの解放に尽くす…のだが。

「リリー・マルレーン」は、映画の体裁としては反ナチスの戦争メロドラマだろうが、このプロットが意図する「やるせなさ」は、結局のとこらユダヤ社会の家父長制に贖うことができない男の信じる「愛」についてであり、「エフィ・ブリースト」でいえば19世紀の貴族社会の「男らしさ」に拘泥する男爵の幻想であり悲哀に集約されてしまう「もどかしさ」であることに、二人の「女」を演じたハンナ・シグラが反旗を翻すところにあるだろう。「自由の代償」でフランツを演じたファスビンダーのそれとは、決して入れ替え可能とはならない/なれなかった「やるせなさ」であろうか。


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hideonakane
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