富岡駅から夜ノ森駅へ
その1 2024年6月28日 金曜日
富岡町にある小良ケ浜地区は、今年2月に「特定帰還居住区域」に認定された。前回4月に訪ねた時は殆ど中には入れなかった。わかりにくい言葉だ。福島第一原発から北西方向に残り続ける「帰還困難区域の一部」に対して、まずは「特定復興再生拠点区域」が設定された。富岡町でいえば夜ノ森地区(2023年4月1日解除)がそれにあたり、また大野駅や双葉駅の周囲などでも「復興」の足がかりとなる地域の整備が行われた。常磐線が全線開通したのも、この「特定復興再生拠点区域」の整備と連動している。「特定帰還居住区域」とは、これらにの「特定復興再生拠点区域」に付随した地区で「住民の意向のもとに」除染やインフラ整備を行ない、小規模の規制を解除を積み重ねていく仕組みである。今回、夜ノ森地区の東側に広がる小良ケ浜地区がその認定を受けたわけだ。
さて、これから小良ケ浜地区を抜け、夜ノ森駅まで歩いてゆく。Googleマップでは徒歩で1時間49分の道のりだ。最もこの経路通りに歩けるかは現時点では不明で、除染作業の交通規制があれば、もとの道をどこまでも戻らねばならない。夜ノ森駅を10時20分に出る列車に乗るために(次は13時02分発だ…)念のため3時間+αの時間を逆算し、6時半過ぎにホテルを出ることにした。
駅舎が津波の被害を受けた富岡駅は、海から500メートル弱。新たに整備された県道391号線に出て富岡川に掛かる橋を渡ると、その先は起伏のある丘陵地帯だ(標高でいえば20〜40メートル)。庭仕事をする高齢の女性と挨拶を交わす。
ほとんどの車が左折して国道6号に向かう分岐点を自分は直進する。鬱蒼と草木が茂る林の中だが、この地区は2017年に規制解除されているだけあって、線量計の目盛は0.3μSv毎時前後で収まっている(年間1mSvが0.23 μSv毎時に相当)。途中、何台かの工事車両に追い抜かれる。右手の私道の車止めを跨ぐと、その先の高台は新たに整地されたており、海が見下ろせる。
本線に戻り浜街道を歩き続ける。いくつかの荒れて放置された家屋があり、さらに歩くと、今度は別荘地のような大きな新築の家が点在するエリアとなる。左折すると前回泊まったホテル、直進すれば「特定帰還居住区域」に入る。サングラスとピンクのトレーニングウエア姿で散歩をする、別荘地のマダムのようなご婦人とすれ違う。佇まいも上品だ。なんだか狐に摘まれたというか…自分の「被災地」の理解を越えていた。どこに於いても差社会なのである。
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前置きが長くなってしまったので端折って話をする。結論から言えば「特定帰還居住区域」内には何人もの警備員・誘導員がいたが、幹線道路で止められることもなく、最初に想定した経路のまま夜ノ森駅に行くことができた。もちろん脇道は全てバリケードで閉鎖され、灯台や旧漁港へ下りることはかなわない。
小良ケ浜を折り返し夜ノ森駅へと向かう。国道6号線の手前東側では大規模な整地が行われている。ドローンの技師と挨拶する。1人は女性だ。赤い看板の家電量販店の角が「新夜ノ森」の交差点で、真っ直ぐ進めば夜ノ森駅となる。桜並木のある住宅エリアから一本はずれており、周囲には人気が無い。取り残されたアパートは1年で雑草に取り囲まれ、逆に(というか)線量が上がり、常に0.3〜0.5μSv/hの目盛を示している。除染が終わり避難指示が解除され、自治体に管理が移るとよくある話ではある。想像以上に富岡町は広いのだ。
9時半過ぎに夜ノ森駅に到着。Googleマップの予測時間を1時間ほどオーバーする。駅前エリアは殆ど整地済みで、ゲームセンター理想郷、酒屋、キャンベルという名前の食堂の3軒だけが、当時の時間と記憶を留めている。
二人の女性清掃員が、待合室のトイレの清掃を熱心に行なっている。生活の小さな「復興」にヴィム・ヴェンダースの映画を思い出す。つづく