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オッペンハイマー/クリストファー・ノーラン監督

クリストファー・ノーラン監督といえば、前作「TENET テネット」でもまさにそうなのだが、難解な映画文法を駆使して表現を極める映画監督だと思う。具体的には、異なる時間軸上の出来事を並行して動かして物語を編み込んでいくとでもいえばよいだろうか。私たち観者は、短・中期の記憶能力を駆使して物語の複層構造を読み解いていくことになる。

つい先日、彼の長編デビュー作「フォロウィング」(1999年)を見たのだが、ロンドンを舞台にしたクライムミステリーは、簡素な作りではあるが、特有の卓越した台詞回しと構成力に満ちた作品であった。見終わってはじめてそれぞれのピースが組み合わされるようにできているので、二度三度、繰り返し作品を見るファンは少なくない。

アメリカの理論物理学者J・ロバート・オッペンハイマーについて

https://www.oppenheimermovie.jp/#

原子爆弾の極秘開発のため、オッペンハイマーが「マンハッタン計画」を組織し主導したという事実以上には自分には知識がない。もちろん彼を中心に、国家を挙げて開発した大量殺戮兵器は、後に広島と長崎に於いて市民に対して使用されたという事実は、デリケートな部分に触れる問題である。まずは映画の「視点」がどこに向かっているのか、それが肝要だ。

さて映画の冒頭では、オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)が「聴聞会」で審問を受けている。後になってわかることだが、この調査はオッペンハイマーのセキュリティー・クリアランス(安全保障上重要な機密にアクセスできる権利)がかかっており、それが取り消されればキャリアの継続が困難となる。ソ連が原爆開発でアメリカに追い着き、米ソ間の緊張が高まった後の1954年のこと。「オッペンハイマー」の物語は、この聴聞から導き出された「彼自身の回想」という設定になっている。

もうひとりの登場人物について。オッペンハイマーの失脚を狙う影の首謀者ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニーJr.)。オッペンハイマーが強固に反対した水爆開発を強引に推し進めた。野心家で叩き上げの彼は、戦後アメリカの核政策を主導した男でもある。1947年にオッペンハイマーをアインシュタインを有するプリンストン高等研究所の所長に推薦したのが、当時原子力委員会の委員であったルイス・ストローズその人だ。もっとも映画冒頭では彼もまた「公聴会」の場に立たされている。1959年、アイゼンハワー政権で商務長官代行の地位あったストローズに対し、上院は長官への正式指名を拒否した(オッペンハイマーの聴聞会での偽証)。これら聴聞会と公聴会でのシーンはモノクロ映像で、本編に分割されて挟み込まれる形だ。

前置きが長くなってしまったが、この映画では、戦後この地でストローズとオッペンハイマー、それにアインシュタインが交差するスリーショットがひとつの歴史的ハイライトであり、「マンハッタン計画」以降、現代へと続く世界と戦争との均衡を明示し、未来への警鐘として機能していると、少なくともクリストファー・ノーラン監督は考えたのではないか。映画の構成から考えればそう思わざるを得ない。だがそれがうまく機能したかについては…。

さて、本編のオッペンハイマーの人物伝部分については、「TENET テネットの」クリストファー・ノーラン監督からすれば、相当わかりやすく語られている。カラー映像で、また時系列も崩さない。見ようによってはクリント・イーストウッド監督のアメリカンヒーロー像とも互換性があるだろう。ノーラン監督の映画で描かれるオッペンハイマー像について、後学のためにトピックを列挙しておく。

  1. ハーバード大学を主席で卒業した秀才で、語学も堪能なオッペンハイマーだが、イギリスに渡り、ケンブリッジ大学では「実験ができない男」という屈辱に苛まれる。ドイツの大学に移籍し理論物理学の専攻した後に彼は才能を開花させるのだが、この劣等感情はその後のキャリア選択の判断を左右したという描き方がされているようだ。

  2. アメリカに帰国し、カリフォルニア大学バークレー校で教職を得てキャリアをスタートさせる。1936年にスペイン内乱が勃発し、共産主義へ傾倒する。おそらく人道的な見地からの反フランコ政権の支持、さらにはフランコの後ろに回るヒトラーに反対する立場からだろう。オッペンハイマーはユダヤ人でありナチスへを警戒してもいた。近親者はみな共産党員へと動いたが、本人は党員にはならなかったが集会にも参加し、学内ではその「立場」を強めていた。ロンドンでは孤立したオッペンハイマーも、帰国後は自信を取り戻し、友人たちからは「オッピー」と呼ばれていた。

  3. オッペンハイマーがロスアラモス国立研究所の初代所長としての役割を引き受けたのは1943年で、アメリカ人としての愛国心に加え無意識のうちにケンブリッジでの屈辱を晴らしたいという欲求が働いたようにみえる。秘密裏で進められた「マンハッタン計画」でウラン精製工場はオークリッジに建設したが、研究所はオッペンハイマーの提案によりニューメキシコ州ロスアラモスに建設された。ここは家族と供に暮らすための町機能を持ち、あたかも映画のセットのように描写している。

  4. そもそもアメリカの核開発は、学者側からの、ナチスドイツに先を越されることへの懸念が根底にあり、ドイツで学位を修めその研究水準に詳しいオッペンハイマーも、その危機感を共有していた。ドイツが降伏した時は、まさに核兵器の完成目前で、当初の目的は失われるも、その対象はそのまま日本に移行し、第二次対戦終結を名目に、ポツダム宣言受諾の前に完成させ使用したことは周知の通り。予想される結末には目を瞑った。

  5. 実験が成功し、核兵器がオッペンハイマーらの手を離れてはじめて、兵器の使用に対し恐怖を覚えるようになった。原爆が広島、長崎に投下され、自責の念に囚われたオッペンハイマーの姿を「リトルボーイ」を積んだ「エノラゲイ」のコックピットの中に描いている。「苦悩」と呼ぶには遅すぎるが、水爆の開発に対しては一貫して異を唱えていた。

映画「オッペンハイマー」の原題は「American Prometheus」である。プロメテウスは、全知全能の神ゼウスの反対を押し切り、天界の「火」を盗んで人類に与えた。人類はその「火」をもって文明を築いたが、ゼウスの予言通り、人間はその「火」を戦争の道具にもした。プロメテウスはその咎で責め苦を受ける。もちろんプロメテウスは「火」を解き放ってしまったオッペンハイマーのことを指すわけだが、ここでクリストファー・ノーラン監督が何を描きたかったのか、映画を見終わって1週間以上経った今もそれを見出せないでいる。繰り返される苦悩の男オッペンハイマーの、画面いっぱいのクローズアップは、カール・ドライヤーの「裁かるるジャンヌ」を意識しているのだろうか。だとすればさすがに傲慢であろう。

CGを使わず、高解像度の最高峰のカメラ機材を使って撮影されたとは聞いている。アメリカでの評価の高さは、あるいは潤沢な予算を使い現場を支配する世界屈指の映画監督になったクリストファー・ノーランを出演の俳優たち皆が絶賛するのは、彼の立場を主人公オッペンハイマーに重ねていたりするのか。だとすれば気持ちが悪いし、実際クリストファー・ノーラン監督は、目前の戦争に抗する心積りを、失脚したオッペンハイマーほどには持ち合わせていないと思うのだが。

「オッペンハイマー」という映画を見るのはさほど嫌ではなかったし、それなりにそこから学ぶものはあった。だが、同じ3時間超の時間を映画に使うのであれば、ワン・ビン監督の描くドキュメンタリー、巨大経済地域の小さな子ども服製造工場で働く中国の若者たちを撮った作品の方が、自分は幾重にも優れていると思うし、美しいと思う人間である。冒頭で書いたクリストファー・ノーラン監督のデビュー作は優れた映画ではあった。しかし現在の彼の作品からは、少なくとも「天才」の称号は剥奪しておくことにする、自分は。

監督:クリストファー・ノーラン  
出演:キリアン・マーフィ | エミリー・ブラント | マット・デイモン


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hideonakane
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