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遺灰は語る/パオロ・タヴィアーニ監督

パオロ・タヴィアーニ監督(1931年生まれ)の「遺灰は語る」は2部構成になっており、ひとつ目はシチリア生まれの文学者ルイジ・ピランデッロの「遺灰」をめぐる顛末を、加えてピランデッロ自身が1936年の死の20日前に書いたとされる「釘」という短編小説を第2部に添えている。

ピランデッロはイタリアの文学者であり、現代演劇を切り開いた劇作家でもある。彼の戯曲は、当時の日本でも評判が伝わっていたそうだ。1925年に「ファシスト知識人宣言」に署名していることから、少なくともある時期まではムッソリーニとは近しい関係にあったはずだ。というよりは、イタリア国家統一期の国民的な概念こそがファシズムでもあったのだ。一方で、1934年にノーベル賞を受賞した後、独裁者ムッソリーニに彼の葬儀を「利用」されないよう遺言を残した。それがこの物語の核にある。

さて「遺灰は語る」は、戦中にムッソリーニの管理下でローマに留め置かれていたピランデッロの遺灰を、彼の遺言にしたがい故郷のシチリアに連れて帰る話である。シチリア特使が遺灰を運び出し、鉄道に乗せ、葬儀をして埋葬するまでの、そこで出会う人たちの「戦後」を描いている。独特の解放感というのか、米軍のパイロットにせよ、鉄道の貨車に押し込められ、故郷へと向かう人々にせよ、誰もが戦中とは異なる顔の「個人」となり、時に現実とファンタジックな幻想とがないまぜになりながら物語は進んでゆく。

ギリシャ壺に入った遺灰の埋葬を渋る神父。高名な文学者の遺灰の帰還をバルコニーから見守りながら、物資不足のため子ども用の棺桶に納められたピランデッロの葬列を、子供じみた冗談で笑い合う大人たち。戦中の苦々しい日常の記憶から解放された、一時期にだけ存在するだろう希望に満ちたその日の記憶が、91歳で戦中育ちのパオロ・タヴィアーニ監督のかくも優しく繊細な眼差しが、モノクロ画面の映像に溢れ出ている。

第2部は、ピランデッロの「釘」という小説をもとにした短編映画である。シチリアからの移民の少年が、落ちてきた太い釘で女の子を刺し殺してしまうという話だ。警察の取り調べに対し、少年はその理由を「on purpose /定めによって」とだけ答える。

アメリカに住むイタリア人の多くは、1880年代にシチリアから来た移民だと言われている。妻を故郷に残しアメリカ大陸へ渡る出稼ぎの男を、我がことのように想像しよう。近代化に遅れた国である。出航間際に仲介者に金を握らせ、自分の労働力の一助となる息子を連れて行ってしまうのだ。

全ての理不尽なことは「on purpose/定め」である。父親がブルックリンの街中にイタリア料理屋を開店したその日、なんとか終えた昼の営業の後で、少年はひとりで店を抜け出していく。空き地で腰掛けぼんやりとしていると、二人の少女の喧嘩が始まった。彼女たちは無言のまま激しく組み合い、どちらも一歩も引かない。成り行きを見守っていた少年は、足元にあった大きな「釘」を拾い、一方に向けてそれを突き立てる。

少年が少女を殺したのが「定め」であるとすれば、彼がアメリカに来たのも、本人の意思とは無関係な「定め」であろう。二人の少女の一方は背が高く、もう一方は小柄で赤毛である。少年はなぜ赤毛の少女を殺してしまったのか。もう片方ではなく…。扉が開いたままの死体安置室で、少年は彼女と再会する。真っ赤な髪の毛はアイルランド移民だろうか。つま先に大きな穴が空いた靴を履いていた。もうひとりの少女とて、また 少年自身さえも、彼女とさして変わらない境遇ではないのか。刑期を終えた少年(もはや少年ではなく)は、彼女の墓を前に、生涯弔い続ける。

1935年、ムッソリーニ独裁下のイタリアはエチオピアに侵攻。翌1936年には、ナチスドイツと友好条約を結ぶ。そういう時代である。ピランデッロも故国イタリアの現状に危機感を募らせたことは想像に難くない。パオロ・タヴィアーニ監督は、共同監督として歩んできた兄のヴィットリオ・タヴィアーニを2018年に亡くし、今回初めて単独での監督に挑んだ。ピランデッロを通じ、監督パオロ・タヴィアーニは、今21世紀のこの時代に何を伝えたいと思ったのか。ピランデッロの遺志を運ぶこの映画には、想像以上に深いメッセージが託されているはずだ。

監督:パオロ・タヴィアーニ  
出演:ファブリツィオ・フェラカーネ | マッテオ・ピッティルーティ | ダニア・マリーノ


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hideonakane
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